90年代以降の世界経済に出現した「グローバリゼーション」という妖怪は、70年代の「市場の威力」という命題の「市場の暴力」への根本的訂正を迫った。貨幣の自己増殖の際限なき運動は経済格差を助長し社会を不安定化する。他方、ソ連型社会主義の崩壊によって、集権主義・設計主義・官僚主義の弊害も自明であり、社会主義に対する権威は完全に失墜した。このような事実認識を踏まえ、著者は「貨幣が市場を作り出す」ならば「貨幣を変えれば市場が変わる」という基本思想を提示し、新たな貨幣のデザインによってオルタナティブな経済社会像を描き出すことが可能であると説く。そのような貨幣こそ「地域通貨」である。<P> 具体的な説明は割愛するが、「民主主義的」「地域主義的」そして「非資本主義的」な事実を有した地域通貨は、グローバリゼーションへの対抗メディアであると同時に、新たな循環型経済社会を構築するための独立の情報媒体でもある。それはさらに希薄化した人々のコミュニケーションを再活性化させる文化メディアでもある。<P> 地域通貨は個人の中に眠っている潜在的能力を発揮させるという著者の思考には、「未知の知への変換」をもたらしうる地域通貨の特性への信念が込められているのではないか。地域通貨の持つ潜在性を我々が理論的・思想的に深く検討し、更には自ら実践運動に参加することも必要だろう。理論と実践を橋渡しするための自発的・主体的姿勢を備えた人間像こそ、今切に求められているのではないか。平易な言葉で綴られた本書を再読し、自分に何ができるのか考えてみたくなった。そうした問題意識それ自体を醸成、洗練化させるためには本書のみでなく、著者の以前の研究書『市場像の系譜学』をも併せて併読することが望ましい。それによって「市場像から貨幣像へ」という著者の議論の深化・拡充過程を知ることができるからである。両者へのアクセスを心より期待したい。
『市場像の系譜学』から「貨幣像」の探求へ。西部氏の研究の第2段階を切り拓いた地域通貨研究を本書から概観することができる。貨幣像の次には「資本像」が必然的に射程に入っているだろうということが推測され今後とも西部氏の動向は目を離せない。本書は地域通貨の紹介だけではなく、現代貨幣を見直すよい機会を与えてくれる。<P> 一時期巷をにぎわせたNAMの倒潰によって、西部氏の発案に基づく地域通貨Qも有効性を失ったかのような微視的な見解が広まっているのは残念だ。実験がうまくいかなかったことによって西部氏の独自性である「バーチャル・コミュニティ通貨」という地域の新解釈とIT技術の地域通貨への応用という面白みや持ち味が薄れてしまった印象をもたれているのだろう。しかし、本!!を読んでいただければ了解されようが、西部氏は非常に長期的なビジョンと戦略を持って地域通貨に取り組んでいるのであり、失敗はさらに頑健な地域通貨の理論体系を構築するためのよき経験として活かされていくだろう。かえって現代人は常に目の前のことにばかり気を取られすぎる余り、老若男女共々に粘り腰がなくなってしまったのではないかと思わせられる。新しい試みに挑戦するときはいつも初めが苦しいのであるから土俵際でじわりじわりとがんばって欲しい。<P> さて、簡潔に内容を要約しよう。まず、はじめに「お金って何だろう」と問い、現代貨幣の再考から地域通貨の意義を確認する。そこでは「貨幣が市場を作り出す」のであるから「貨幣が変われば市場も変わる」とされる。次に地域通貨が「なぜ今、注!!!されるのか」として、現代の言語的コミュニケーションと倫理の衰退を挙げ、それらを回復する試みとされる。西部氏は地域を狭義の「地域」だけではなく、価値観を共有するネットワークも広義の地域であると再定義する。IT技術の発展・応用によって後者の地域通貨が今後大きな可能性を持っていることが指摘される。