ゲーテは二百年くらい前の作家であり、ベートーヴェンやナポレオンと同じく、写真発明前夜に活躍していた。<BR>「ウェルテル」とは違って、「ファウスト」は積極的に物事に挑んでいく姿勢を持っている。ファウスト自身の欲望は次々と悪魔メフィストフェレスによって具現化されていくが、なかなか満ち足りることがない。<P>第一部は、ファウストとグレートフェンの愛を巡る悲劇であるから、割と読みやすい。(第二部以降は西洋文化に精通していないと難しいと思われる。)第一部だけ読むだけでも、様々なことに対する考え方や見方が違ってくると思う。<P>文庫では、新潮でも出ているし、森鴎外全集の一冊としても出ている。甲乙は付け難いが、森鴎外だと第一部第二部とが一緒になっているので、分厚くて読みにくい。
ゲーテの思考はいつも、晴れやかで美しいものに向かう。この作品も例外ではない。確かに一見する限り悪魔メフィストとの契約やグレートヒェン悲劇等暗鬱な雰囲気がある。しかし根底にあるものは最高のものに向かっての努力、これを怠らぬ人への救済である。これは人の最高のものに対する賛美であり、最も晴れやかで美しいものであろう。
ゲーテのファウストはまさに畢生の大作で、哲学、宗教、神話、自然科学等々を、ゲーテの若かりし疾風怒濤の時代から、老年の憂愁を秘めた警句に富んだ詩的表現の絶頂期まで、あらゆることを一身に詰め込んだ、世界文学の金字塔である。彼はこの作を完成させるのに60年を費やした。<P> 「トゥーレの王」「望楼守の歌」等のような詩は格別で、詩の一つの極を示している。第2部の5幕で「憂い」等の灰色の4人の女の登場したときには、身の震える思いがした。<P> 物語は、ファウスト博士の悪魔をつれた悪魔による遍歴であって、第1部での、知識欲に駆られての悪魔メフィストーフェレスとの魂を賭けた契約から乙女グレートヒェンの悲劇をへて、第2部では悪魔と共に、ゲーテの憧れである古代へ行き、美の象徴ヘレネーを得る。が、彼女はすぐに消滅し、現実の世に舞い戻ったファウストは一大事業の完遂を目の前にし、明日への希望をもつことができ、そう思えた瞬間をつなぎとめようと、悪魔との契約で禁じられていた句を叫び、息絶える。といった筋である。<P> 2部においては1部との連関も出てき、1部よりも2部の方がはるかに複雑で、必要な知識も増え、最後まで読む人の少ないのも、この2部によるであろう。第1部にはいる前に、3つの、詩と劇とがあり、これらはまったく本編と別個のものととらえられがちである。これら3つも含めてこその「ファウスト」全曲だと思えた人はなかなかの読み手と思う。