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| 風姿花伝
(
世阿弥
野上 豊一郎
西尾 実
)
「風姿花伝」は今からおよそ600年前、西暦1418年頃に書かれたものです。私は古文など全く苦手にする者ですが、そのような私でもなんとなく読めてしまうのは、伝統の力なのでしょうか? 本書は100ページ程度の小冊子ですし、文体も文芸書のようなこったものではありません。ーーと書いても具体的に実感できない人がいるかもしれませんので、有名な部分をそのまま引用してみます。<BR> <P>「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。しかれば、秘事といふことを顕(あら)はせば、させる事にてもなきものなり。これをさせる事にてもなしと云ふ人は、未だ、秘事と云ふ事の大用を知らぬが故なり。」<BR> <P>世阿弥の言葉として有名な「秘すれば花」。でも本当はそんなにたいしたことではない。ただし、たいしたことではないと言う人は、実は秘することの大切さがわかっていない。ーー「風姿花伝」はとても小さな本ですが、内容がタップリ詰まっています。そして何より、世阿弥の芸にかける迫力を感じます。ダ・ヴィンチの100年も前に、こんなことを考えていた日本人がいた! 「風姿花伝」は、日本が世界に誇れる芸術論だと思います。 <BR> <P>「その時々にありて花のままにて、種なければ、手折(たを)れる枝の花の如し。種あれば、年々時々(としどしときどき)の比(ころ)に、などか逢はざらん。ただ、返す返す、初心を忘るべからず。」ちなみに、別のところに「花は心、種は態(わざ)」という記述があります。
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