本書は中学生の主人公「コペル君」が学校生活や私生活でさまざまな社会的場面に遭遇し、そしてそれらから得られる教訓を分かりやすく解いたものです。社会の一員として人はどうあるべきか?社会的な立場で物事を考えるといううのはどういうことか?主人公の「コペル君」と一緒に学んで行きます。まだ社会に出る前の学生の方々は必読だと思います。もう既に社会人として立派にやっておられる方も、自分自身を見つめ直すためにもぜひ一度読んでもらいたいです。
「君たちはどう生きるか」ですよ。何と大上段に構えた題名!そんなん言われたくないわ、と思いつつ読んだのですが…。<BR>読み終わった時、いやあこれは大変な本だ。こんなに内容のある本を、文庫本でお安く読んでしまって良いのかなあ、と妙なことを考えつつ、実に心を打たれたのでした。<P>「君たちはこのように生きられるか」「君たちにはこのように生きてほしいのだ」と、著者が真摯に問いかけてきます。「人間である以上、このように生きることは非常に困難だろう。でもあえて、このように生きてほしいと願うのだ。人間としての誇りのために」<BR>人間としての誇り、それがかつてないほど求められている今だからこそ、ぜひ読んでおきたい本です。
旧制中学1年の少年の成長日記…,などと言うと古色蒼然とした抹香臭さを感じて,読む前からゲッとなる人もあるかもしれません。ところが読むとそのマッタなしの真剣さにおどろきます。<P> 誰しも,日々の変わり映えのしない生活を送っているだけで色々な思いが湧き出てきます。主人公の少年コペル君も,日常のありふれた出来事で感じたことを出発点として,自分の考えを進めて行きます。借り物の「道徳」や「哲学」に寄りかからず,生きていることから直接湧き出てきた自分自身の思いから目を逸らさずに思考の歩みを進める姿は,とても勇敢です。そしてきっと,そうすることでしか,思索を深めてついには自分自身の「道徳」や「哲学」としてしっかりと踏まえることはできないのだろうと思います。<P> 風俗や文体に古くささを感じ取ることは簡単です。しかし,その古くささを言い訳にして,この本に問いかけられている人間としてどうあるべきかという課題をおざなりにするとしたら,自分をごまかして生きていくことになってしまうのではないでしょうか。<P> 行間には,読者として想定した思春期の世代に対する,著者のいとおしい思いがいっぱいです。ましてや満州事変の後騒然としてきた不安な世情のなかで,人間にとってよりよい明日への望みを若者に託す著者の筆は焦がれんばかりの熱さを放っています。<P> 自分が人生に向かう姿勢にゴマカシは無いか,言い訳をしてはいないか,逃げていないか,コペル君を見ていると自分を糺さずにはいられなくなります。この本の切っ先は,まっすぐ自分の喉元に向けられたものだったようです。