ユークリッドスタイルで書かれたこの本は、歴史的制約の下にあってさえなお、輝きを放っている。スピノザは無神論のかどで攻撃されているけれども、もっともだ。スピノザの神は人格神ではない。また、アニミズムのようなものでもない。それがどのようなものであるかはよくわからない。この本は文学的関心で読むと、はっきり言って極めてつまらない。その点も踏まえて、私は、この本に対する二つのアプローチを提示してみたい。<BR> まず一つ目に、非歴史的考察。これはスピノザを現代哲学として読む試みである。<BR> そして、二つ目に、数学の歴史、政治状況、ユダヤ哲学の伝統などを踏まえながら、読む、という歴史的考察の試みである。<P> 前者はすぐにでも始められるし、後者は時間がかかるものの、得られるものもまた大きいだろう。<BR> この二つを折り合わせたときに、この本一冊から得られるものは、非常に大きいと私は考える。それが何かは、読む人それぞれによると思う。
スピノザは「最初の唯物論者」とか「神に酔える無神論者」と呼ばれることがあります。同時代人は、スピノザを評価する人たちでさえ、彼が無神論者であることを疑わなかったようです。「神が人間になったというのは三角形が円であるように不可能である」と彼は言っています。300年以上も前にこれほどハッキリと、イエスはキリストではない、と宣告した人は確かにいません。ーースピノザの世界観を私流に単純化すると、およそ次のようになります。世界(=神)に目的はない。--完全なる神が更に完全なものを求める必要はない。奇跡、偶然は存在しない。--神が自らの法則に反する出来事を許すはずがない。人間に自由意志はない。--結果にはすべて原因があるのだが、人間には複雑すぎて理解できない場合があるので、人はそれを自由意志のように思い込むだけだ。神は人間の救済に関わらない。--私たちがあることに笑ったり泣いたりしたところで、神の完全性はほんの少しも増えも減りもしない。善悪その他の価値は、人間の側で勝手にでっち上げたものに過ぎない。ーーでも、これほどニヒリスティックな世界で人はどうやって生きていくことが可能なのか? それが「エチカ」の後半の課題ですが、この前半部、彼の虚無の極限ともいうべき世界観に驚くためだけにでも「エチカ」には読む価値があると思います。スピノザは自分の哲学を「最上の」ではなく「真の」哲学だ、と考えていたそうです。私もきっとその通りだろうと思います。スピノザを読む人は少ないが、理解する人は更に少ない、と言われています。あなたもその少数派になってみませんか?