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| 歴史哲学講義 (上)
(
ヘーゲル
長谷川 宏
)
歴史哲学は一般に評判が悪く、研究者からはあまり評価されていませんが、若い時から歴史哲学の書を著した、現在最高のヘーゲル翻訳者の手にかかると、ヘーゲルの重要な思想がくっきりと浮かび上がってきます。訳の質は文句のつけようがありません。あるとすれば解釈の違いです。序論から:<P>「精神とは内部に中心点をもつもののことです。・・・物質の実体は物質の外部にあるが、精神は自分のもとで安定している。それこそがまさに自由です。わたしがなにかに従属しているというとき、わたしは、自分でないなにかと関係し、外部のなにかなしには存在できない状態にあるのであって、自由であるのは、自分のもとにあるときです。精神がこのように自分のもとにあるとき、精神は自己を意識する自己意識です。意識には二面があって、意識のはたらきと意識の対象が区別されねばなりませんが、自己意識にあっては、この二つが一体化している。なぜなら、精神は自分を意識し、自分の本性を判断し、同時に、自分にむかって自分をうみだし、本来の自分にかえっていく活動をおこなっているからです」<P>「情熱や特殊な利害にもとづく目的や私欲の満足は、この上なく強力なものです。・・・法や道徳がそれらを一定の枠にはめようとしても、それをまったく無視するからであり、こうした暴力的な自然感情のほうが、秩序や節度、法や道徳にむけての人為的で手間のかかる訓練よりも、人間にはずっと身近に感じられるからです」<P>精神の本質を自由に見、つぎに精神現象学の中心をなす自己意識を簡潔にのべ、一方、その根底にある、共同体意識に根強く抵抗する人間の自然の感情を強調し、自由の本質を構成するこうした情熱や私欲をも熱っぽく語っています。これがどのような形をとって現象するのか語るのが歴史哲学です。<P>最後に、和辻の風土論に代表されるような、民族の地理的制約を語り、新大陸のアメリカを「未来の国」として位置づけています。
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