読み進むに連れて、筆者の視点、感受性を共有しながら、あたかも自分がその当時のソウルにいる。そのような気がしてくるエッセイである。<P>衒わない、煽らない、激しい言葉も、飾り立てた言葉もない。余計なことを削り落とされたような文によって、ソウルや光州で出会った人々の感じていること、考えられていること、語られたことが記される。<P>そして、韓国の人たちの在り様、そこから照らし返される日本人の在り様。深く研ぎ澄まされた洞察が語られる。<P>四方田さんがこの書物を著されてから、韓国では大統領も代わり、ブロードバンドが急速な勢いで普及しという大きな変化があった。2000年の状況との変化が、また、韓国を訪れる四方田さんによってどのように語られるのか。<P>次の一冊も楽しみにしたい、また、そこから切実に学びたいという感想を抱いた。
長い間、こういう現代韓国のルポを待っていた。私が今までした韓国旅行は四回。観光コースではない旅行をしてきたつもりで、それなりに収穫はあった。しかしバス停や街角で果てることなく口喧嘩をする人達や、明洞でショッピングをしている若い女性や、新村をぶらついている学生や教授たちと交流など到底出来なかった。私の能力を越えることであった。この本では彼らが何を考えているのか、その一端を知ることが出来る。今年みた韓国映画の傑作『JSA』や『ペパーミントキャンデー』に対する著者ならではのコメントも大変参考になった。<P>かってバスに三時間ゆられて百済の古都扶余に行ったとき、その町並みのあまりにも素朴さにかえって感動したものだが、この本では全羅道と慶尚道の対立の一つの典型として、扶余と慶州の違いをあげている。今度は是非慶州にも行ってみよう。ただ著者はこの町の経済格差は百済と新羅の対立のせいではなく、戦後の政治的産物のせいだという説明を忘れてはいない。<BR>70年代の『緊急措置世代』から80年代の『三八六世代』そして90年代の生まれながらにして民主化の世の中で育ち大衆消費社会を享受している世代の違いを著者は自分の経験とあわせて鮮やかに説明する。光州事件を体験してきた人達が今どういうことを考えているのか、ということは著者でしか書く事が出来なかったことではないだろうか。<P>21世紀の日本に韓国の人達との交流は欠かせないと私は思う。こういう骨太なルポが増えることを望む。