ベトナム戦争は歴史上最も自由な報道が許された戦争といわれている。日本人の手による戦場の記録というと、とかく加害者か被害者の立場に立ったものばかりが目につくが、開高健は当事者ではない第三者として中立の立場で現実を直視し、判断し、記録しようとする。<P>最近のイラク戦争を見ていると、メディアを通して報道される情報がいかにコントールされているかを思い知る。しかし、本書に記録された内容を私は信じることができる。なぜなら、当時すでに小説家としての高い地位にいた一人の男が、命懸けで目撃してきたものだからである。テレビの報道を見ながら、あれこれ発言する作家は多い。しかし、現実に起こっていることを確かめるために実際に戦場まで出かけていくだけの勇気を持つ作家は、今の日本に果たして何人いるだろうか?
ベトナム戦記を読みおえて、もっとも印象に残るのは、あの文豪・開高健が、必死に平静を保とうとしている努力を窺い知ることである。私は、阪神大震災を味わったが、不意にあのような震災に見舞われると、我々の執る行動は、「いつもと変わらぬ」ように動こうとすることを知った。吹っ飛ばされたいつもの日常に戻して、落ち着こうとする心理が働くのだろうか。このベトナム戦記を語る開高健の語り口から、「戦場の凄まじさ」が逆に伝わってくる。哲学的で難解な表現でも知られる著者が、平易なストレートな文章で事態を伝えてくる。後に「枯葉作戦」と呼ばれ、ダイオキシン後遺症の悲惨さが伝えられた作戦に出くわす場面も興味深い。また、この頃既に、この戦争の矛盾に迫ろうとする姿勢にも文学者としての精神が感じられる。このベトナム戦記を、私はとても重要な作品だと思っている。
作者が朝日新聞の臨時海外特派員になって戦乱中のベトナムに赴いて、ベトコンに包囲されてジャングルで死を覚悟したりしながら取材した作品。<P> 作者は『ベトナム戦記』の文章で、〝何物かによる搾取のすさまじさをつくづく感じさせられた〟といって、肥沃な土地と素朴な生活によって、本来ならば悠々と暢気に暮らせる筈のベトナムの農民たちが、支配者の搾取と、また新しい支配者のときどきの出現に基因する戦争とによって、現在に到るまで何百年という長いあいだ絶えず貧苦にさいなまれ通しなのに深い同情を寄せている。この文章は戦記なので、傍観者としての叫びになっているが、小説の場合は、これが主人公である組織の中の叫びとなって表現されているので、なかなか感動的なのだ。