正直な話、上巻を読んだときには「ま、こんなものか」程度にしか考えていなかった。それは上巻においては各章一人ずつの登場人物達の視点がありそれにコミットしようとする一方で、突如としてどこか世界全体を俯瞰したような視点で物語ってしまうところによるのだと思う。例えばクラウスの視点で語っていたのに突如「クラウスにとっては本物の出会いだった」というように世界全体を見渡す視点から語られてしまう。これではラストエグザイルという世界に熱中しにくい。対照的に下巻ではテーマが上巻の日常から完全に非日常的な展開に進んでいくことにより作者の語りが自然と各章を担当する登場人物達の視点に重なってくる。つまりぶれていないのである。たしかに上巻のような文句は下巻も多少はあるけれど!、たいして気にはならない。それが果たして下巻特有の「熱い」雰囲気によるものなのかは分かりかねるが、少なくとも(ウィナの言葉を引用すれば)雑音を意識から追い出すことに成功している。テレビ版との違いは実際に読んで見れば明らかだが、以上のことからむしろ見ていない人が読んでもらったほうが楽しめるかもしれない。上巻で「しょせんスニーカー」と思われた方は是非下巻を手に取って欲しい。超特急のストーリーだな、とテレビ版の最終話で愚痴ってしまった方にも話の整合性がとれているから新たな読みのためにおすすめできる。しかもすごいのは、そのように話が変更されているにも関わらず根底が変えられていないから紛れない「ラストエグザイル」を読むことができるのだ。
本編もこってり一人一人を語る形式ではなく、ストーリーの中に断片的に織り込まれるシーンから類推する形式であるから、最終話が終ったところで全てすっきりという話ではない。それをコレだけのページに圧縮するのであるから、細かい点が落ちてもし方がないとは思う。思うが、薄い。<P>主人公クラウスがバンシップ仲間を闘いに巻きこむ切欠を自分が作ってしまったと自覚することで、戦争から逃げられなくなるシーンすら端折られている。唯一多面的に描かれているのは皇帝ソフィア。彼女に関しては、見目形が良く似た従姉妹に勝てない自分と、皇帝という職務上のイケズな女が辛うじて描かれている。実はもう一人のイケズ、技皇デスフィーネがあって初めてアレックスも彼女も生きてくると思うのだが、そうい!意味では本編を知らないと何が面白いのか解からないかなり辛い内容になっている。逆に知っている人間から見ると、本編でアヤフヤであった部分に対しての答えの部分がかかれているところはある。<P>クラウス主人公の単純おこちゃま向けで終らなかったことは誉めるが、ストーリーの軸が定まらず、かなり座りが悪い話になってしまっている。