大きく第一部「動物裁判とはなにか」、第二部「動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化」に分かれるが、圧倒的に面白いのは第一部。<P> 幼子を食い殺した罪で法廷に立つブタ、破門されるミミズやイナゴ。しかし、意外にもそれらを弁護する法学士はモグラの安全通行権や毛虫の居住権までも勝ち取るという史実のバカさかげんに圧倒される。そして、圧倒的に多かったであろう獣姦罪の数々。獣姦罪で有罪となった人と動物はほとんどの場合、炭になるまで焼かれ、裁判記録も不浄のものとされて同時に燃やされるかしていたのに、それでも残っている数々の記録は、獣姦がいかに多かったかをうかがわせるという。<P> ここまでワクワクさながら(新書という構成上しかたないのかもしれないが)第二部は尻すぼみ感がいなめない。<P> 実は中世において本当の意味でのルネサンスや産業革命はなされていたのだという、今日では主流派の考え方にのっとり、人間と動物(自然)を対等と見てという精神が出現した重大さを指摘する。本来恐るべきものであった森に代表とされる自然が、農業の発達とともに、人間が征服し始めることによって、人間の従属物へと変化していく。動物裁判とは、そうした時代の過渡期に現れた現象であるという指摘は、べつに合っていてもあっていなくてもつまらん。<P> これも『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ本で、3冊目。
13~18世紀の西欧で実際に行われていた奇異な「動物裁判」をモチーフに、アナール派的史観によるアプローチによって、アニミズムの駆逐とキリスト教社会成立を背景にして、当時の法が対象にしていたものや社会風俗などが描かれています。ただ、Reviewerの方が指摘されているように、説明の方向性や主張が曖昧な部分も否定できませんので、新書というフォーマットの性質上、あくまでも読み物あるいは西欧中世の社会史の導入書という位置付けですね。
フランスにいた著者らしく、この本は、「『歴史を相対化する』とはどういうことか」という、アナール学派の問を感じさせるものだ。<P>「動物裁判」という、全く非現代的な対象を初めて知ったとき、万人の感想は概ね同じであろうと想像される。しかし、それは私たちの、極めて現代的な感覚に「侵された」ものである。歴史学は、そういった現代の絶対化から逃れ、過去を相対化し、現代を相対化することができよう。そこに、社会科学としての歴史学の位置もあるのだ。<P>しかし、難を付けずにはいられない本であった。<BR>文章力、本の構成、日本との比較、等は読むものを困惑させる。<BR>問題の設定が「新しい歴史学をひらく」という明確なものでないため、主題を追った議論も不明確になってしまっている。<P>言うならば、対象の面白さによって持っている本である。