筆者は、規制緩和あるいは金融ビッグバンの議論の高まりとともに、声高に主張されるようになった「自己責任」の欺瞞を論じようとしている。「自己責任」という言葉は不思議なことに、医療、年金の問題に象徴されるように、弱者に負担を求める場合に使われるようである。<P>筆者が「自己責任」について論じるに際し、「無責任の体系」、「日本における『公』の重層性」、「抑圧の委譲」といった概念を持ち出しているのは、「自己責任」の欺瞞を解明しようという意図に基づくものであろう。しかしながら、やや議論が拡散し、「自己責任」そのものについての議論が不足しているのが残念である。筆者は最後に記している。「私たちに必要なことは、規制緩和を主張する人々の背後に何があるのか、どのような利害関係があるのか、政治的駆け引きがあるのか、ということを冷静に見極める姿勢だと思います。」正にそのことを真正面から論じて欲しかったと思う。
確かに<BR>漢字の中国語での解釈にそんなにページを割くか?という感もありますが<BR>どっかで聞いたことのある話?という感もありますが<BR>ウォルフレン批判や集団行動における責任のあり方に関する言及は<BR>読んで損はないと思います。
タイトルに「自己責任」なんて書いてあるが、自己責任という言葉が出てくるのは1章だけなのだ(一応最後の「結びにかえて」でも1回出てくる)。しかも、結局「自己責任とは何か」については一度も語っていない。要するにこの本では自己責任について何ら論じていないのである。2章から7章までも、やたらと著名人の文章を引用するばかり(しかも勝手に要約してしまう)。議論も大雑把。著者の専門は、近・現代社会史、現代社会論というが、これが文系の曖昧な議論というものなのか。