当方、応用数学を専攻するものであるが、この本の議論の立て方は、論理こそ間違っていないものの、おおよそ数学的センスのないものと言わざるを得ない。<P>この本は、数学者が無自覚的に取ってきた立場を批判するスタンス(専門的には直観主義という)に沿って書かれている。それ自体は別に悪いことではないのだが、ではどうして数学者がそのような立場を取るのか、そのことに一言も触れていない。<P>「論理」だけを至上のものとするようなナイーブな立場を取るのでなければ、実践的には「可能無限」派は「実無限」派に抗すべくもない。その現状を無視して、このように一方的に「少数意見」に与するのは、「井の中の蛙」そのものと言わざるを得ない。<P>この本のわかりやすさに免じて★2つとしたが、思想的には全く同意できない。まあ、野矢氏独りの罪ではないのだが。哲学者の言辞がことごとく、地に足のついているものでなくなっているのは、戦後世界の通例であるのだから……。
基本的には、数学の本です。その背後には、哲学があるようです(と後書きにありました)。アリストテレスの時代、無限をどう考えていたか?その後、数学、おもに集合論で、無限をどう考えてきたか?そして、ゲーテルの不完全性定理の説明までです。<P>特に後半は、大学の数学で、聴いたような講義を、簡単に説明してくれてるような本でした。<P>大学の講義の生徒が、2人しかいなくて、しょうがなく、先生の研究室で、講義を行うという状況で、12回の講義があります。先生と生徒の会話という調子で話しが進みます。おやじぎゃくも含めて、ユニークで笑える講義です。<P>丁寧に読めば、面白い本でした。すくなくても、数学の本を読むよりは、ずっと面白いと思います。
哲学的に人生観や世界観に訴えかけてくるものがあるのではと勝手に思い込んで読んだのが本書であり、何も期待せず、頭のトレーニングのための数学の本というつもりで読んだのが野崎昭弘氏の『詭弁論理学』(中公新書)であった。結果、後者の方がずっと面白く感じたが、それは内容によるよりも先入観によるところ大であろう。<P>どちらの本も、言われてみればたしかに多湖輝氏の『頭の体操』を思い出す。けっして、私のように数学から離れて10年も20年も経つような人間でも読めない本ではない。<P>ただ、文科系で数学の苦手な人は、『詭弁…』などで軽く“頭の体操”をしてから本書に入った方が拒絶反応を示さずにすむのではないだろうか。