権力の二重構造は日本の歴史において特筆すべきもの。<BR>おかげで世界の現存する王朝の中で最古の王朝が日本の皇室となっているのだが、ここでふと面白いことに気がついた。<P>「国王は君臨すれども統治せず」というのは立憲君主制の母国である大英帝国で(正式にはこの時点ではスコットランドとの合併がなされていないためにのちの大英帝国というのが正しいのだが)名誉革命後の1689年に制定された「権利の章典」(Bill of Rights)以降の言葉である。<P>とすると我が日本はこれより500年以上前に既にその仕組みをとっていたということになる。実は案外すごいのかもしれない。<P>右翼左翼的なものの考えを排してあえて語るが「君主の不問責」というのは実はかなりのメリットを持つ。<P>それはさておきこうした権力の二重構造を支えてきたのが幕府の存在と(もちろん藤原氏や平氏による政治も存在するが)源氏の存在である。<P>「『源氏物語』の源氏と源 頼朝は無関係ではない。」<BR>「姓と苗字は本来別のもの」<P>「ふじわら<の>かまたり のように<の>がつくものと ほうじょうまさこ のようにのがつかないものには厳然たる区別と意味が存在する。」<P>などなど学校の歴史では学ぶことが出来ない面白いエピソードについては枚挙に暇がない。<P>こういう本を嫌う人は固有名詞の列挙や史料の煩わしさから敬遠している方がほとんどだろうが、もったいない話。<P>固有名詞や史料など飛ばして読んでも普通の人には充分得るものがあるはず。<P>専門家には物足りないかもしれないが私のような博覧強記を自認出来ぬ者にとっては楽しい時間をすごすことのできる書物だった。
高校生の時のこと。友達に「俺、平氏の末裔」と言うと、怪訝な顔をされました。「平氏は壇ノ浦で滅亡した」「源氏は北条家によって滅ぼされた」などと学校で教わることが多いため、「北条時政は平氏で、足利尊氏が源氏で、徳川家康も源氏」ということを知らない人が案外いる。わたしの級友も平氏というのは「平さん」以外に存在せず、落ち武者となった人々以外は死に絶えてしまったと思っていたようでした。<P>この本は氏姓についての基本から説き起こし、源氏長者が王氏を束ね、日本国王を兼ねるようになった経緯を説明する。織田信長、豊臣秀吉が源氏でないが故に征夷大将軍になれなかったという俗説を排除し、なろうとすらしていなかったということを説得力のある論拠で、わかりやすく結論づけている。「万世一系」の天皇家がいかに維持されたか、日本という国号が今日まで存続しなかった可能性があったことの指摘は、スケールが大きく新鮮。一読をおすすめします。
小学校で初めて日本史を習ったとき、なぜ蘇我氏や藤原氏は「そがのうまこ」「ふじわらのみちなが」といったように名前の前に「の」が付くんだろう、と疑問を抱き、そのままに十年以上が経ちました。本書はこの問題に明確にこたえを与えてくれるのみならず、天皇と王氏(簡単に言えば王統に連なるもの)そして源氏がどのような関係を孕みつつ古代から近代に到るまで並存し続けてきたかを浮き彫りにします。<P> 本来天皇の王子でありながら、諸般の事情で姓を与えられ臣下に下った皇族たち。源氏という姓を与えられた者はその他の姓を与えられた者に比べ格段に天皇に近いものと考えられ、中にはいったん源氏の姓を下賜された者が再び親王位に復した後に即位した事例すらありました。このような源氏のトップが「源氏長者」であり、足利義満以降、それは征夷大将軍と一体化していくことになる、というのが本書の主旨になると思います。<P> 「源氏しか征夷大将軍になれない」というのは本当なのか、だから信長や秀吉は幕府を開けなかったのか、といった疑問にもこたえが出されます。「源氏しか将軍になれない」というのは俗説に過ぎず、また信長や秀吉が将軍になれなかったのではなく、家康はやむを得ず将軍になった、というのが結論ですが、なぜなのかは本書を読んで下さい。<P> 史料が随所に引用され、事細かな議論が集中する箇所もありますが、論理が明確なだけに頭に素直に入ってきます。少し論理の飛躍や乱暴なところがある気もしますが、そこは内容の斬新さが補っています。日本中世を彩った武士たちのイメージを少し変えてくれる本かもしれません。