勝海舟といえば、一般的に知られているのは、明治維新で活躍し、当時の日本に珍しく周囲の意見に振り回されず、外国に公平な目を向けていた人物というイメージだろう。<P>だが、本書では、維新前後はもちろんのこと、維新後から日清戦争までの彼の慧眼ぶりが、みごとに記されている。日清戦争で死んだ清側の戦艦隊長はかつて勝が指導した人物だったという下りなどは、いかに彼が博識で広い活動を行っていたかということが分かると同時に、彼の人間としての苦悩が伝わり胸がいたくなる。<P>世界のどこかで戦争が起こり、かついろいろな意味で日本がとるべき態度を決定することが待たれる今こそ、勝海舟の世界に向けたまっさらな眼とその心意気に触れるべきではないだろうか。<BR>勝が吉本に語ったものを元に、しかし歪曲された史実は考証し直し描かれているので、安心できて読みやすい物になっている。
全編海舟の人間味にあふれた本で、一気に読んでしまった。とりわけ驚かされたのは、日清戦争に対する評価である。福沢は言うに及ばず、鴎外、漱石、日露戦争時に非戦論を唱えた内村鑑三でさえ支持したというのに、犬も食わない「兄弟喧嘩」と斬って捨て、「大反対だったよ」とこともなげに述べている。<P>「おれの意見は日本は朝鮮の独立保護のために戦つたのだから土地は寸尺も取るべからず」として、その代り償金をたくさんとってそのカネで支那に鉄道を敷設して、支那に交通の便を図ってやる、というのである。床屋政談の気味がなくもなく、ご隠居の放言といってしまえばそれまでだが、発想の自在さといい、バランス感覚といい稀有の人といわざるを得ない。
勝海舟-「大砲の音一発で世界に目を開くことができた男」(みなもと太郎)。時勢を的確に見抜き江戸幕府に引導を渡した彼が、晩年に語った言葉を集成した本である。謙譲の美徳、という道徳観は日本人の失われた長所だとよく言われるが、彼はそんなもの、微塵も持ち合わせていなかったのだろうか、それとも老齢のなせる技か、本書は全編が自慢話、と言って過言ではない。しかし、かえって彼の人間らしさが出ていて好ましくもある(微笑ましい、というべきか)。<P>現代は豪傑不在の世の中であるが、明治の半ば、すでに彼はそれを嘆いている。彼はいわゆる「能吏」を高く評価せず、これに対し「豪傑」のある種いい加減さ、無責任さ、に対しては寛容である。これは庶民一般に共通する感情であるが、豪傑の傍に居てその補佐をする人間の苦労は、並大抵ではないのである。それを評価しないのは、本来公平ではない(私自身は「補佐」にまわる性格なので、これだけは言いたかった。私が誰かわかる人は、わかるでしょう?)。まあ、彼自身が豪傑なんだから、仕方ないけれど。<P>また、彼がいかに開明家であったとしても、その心根はやはり武士道が基本である。命よりも至誠を重んずる。また、門閥嫌いだと聞いていたが、晩年の彼はどうもそうでもない。若い頃の彼の、生の言葉も知りたいと思う。<P>なお、本書はいきなり本編を読むのではなく、必ず序文から読んで欲しい。かつて流布していた吉本襄編集「氷川清話」がいかにでたらめであるかについて、憎悪の感情立ち上る激しい筆致で攻撃している。確かに歴史はこうして歪む。勝海舟自身が「歴史はむつかしい」(p.311)と言っているとおり。<P>通読には多少の努力を要するが、歴史的に貴重な文献がこれだけ面白く読めるのだから、一応星5つとした。