三人称での物語展開で、短編なので、一センテンスに詰め込まれている情報や暗喩をじっくり熟読玩味しないと楽しくない短編集。物語の構成は、現在のストーリーテリングと過去の出来事のクロスオーバーで読者の視線をスッスッとずらしていくというもの。しかし、いささか乱暴なずらし方も散見され、100%物語に没入できない部分もあります。男女間や人生に明確な答えなどないし、そのことに対する漠とした不安をモチーフにしているのであれば、甘くなく書ききってほしかったのですが、全編を通じて登場する「男の子の兄弟」との各主人公との交わり方がどうにも消化不良だしそもそも首をひねるような登場のしかたもあります。まあ、そのことを差し引いても、再読しても楽しめるくらい作りこまれた短編集ですね。文庫よりハードカバーで本棚に置いておきたくなる本。
東京で一人暮らしする三十歳前後の男女五人をそれぞれ主人公とする五つの短編連作。五人の間に面識はないが、全ての作品に、七、八年前見かけた家出兄弟(小三と小一くらい) のエピソードがあり、主人公たちはこの兄弟に何らかの感慨を抱きながら、日々の暮しに紛れて忘れてしまっている。それぞれが、現在のそれぞれの暮しの中で、ふとこの兄弟を思い出す、というのが共通項だ。各々の主人公の、イケてないのに魅力的で、なぜか結構モテる人柄や、一人暮らしのもたらす孤独と幸福の微妙な色合いがいい。まさにスタバのコーヒーを飲む時みたいなちょっと幸せな読書の時間が味わえる。<P> ただ、私には親切すぎるかな、と思った。ある主人公の、兄弟への親切はこんなふうに説明される。“ たとえば、誰かに親切にしてやりたいと思う。でも、してくれなくて結構だ、と相手は言う。だったら仕方がないと諦める。考えてみれば、ずっとそうやって、自分の思いをどこかで諦めてきたような気が田端はした。親切など結構だと強がる人が、実はどれほどその親切を必要としているか、これまで考えたことさえなかったのだと気づいた。相手のためだと思いながら、結局、自分のためにいつも引き下がっていたのだ、と。” そしてその兄弟に思い切って親切を施す。家出少年への親切は大いに結構だが、この小説は、読者にとって親切すぎるのだ。最終話のラストシーンの親切な種明かしに、目頭を熱くすべきなのだろうが、私にはできなかった。<P> ああ、そうか。「パーク・ライフ」のラストシーンで、“私ね、決めた”と言いつつ何を決めたのか一切口にせずに街頭に消えるヒロイン(と作者) の意志ある背中……吉田修一氏のああいう不親切さに私は惹かれていたのだ。
地方から上京してきて、この大都会の片隅で、それぞれごく普通に生きている人たち。彼らは互いに何の関連もないけれど、その生活の一片に、失踪した母親を探して旅している二人の幼い兄弟をからめて、最後にひとつの大きな物語のように仕上げています。<P>それはまるで、この地球の上の自分のテリトリーの中で、ささやかに暮らす人々を見つめる「神の視線」のようにも思えます。<BR>曖昧な気分描写を得意とするこの作者には珍しく、ラストに思いがけない感動が待っていました。<BR>しみじみ泣けます。