1巻と同じく講義録のため非常に読みやすい一冊だ。今回は神話における熊の役割を考察することで人間にとっての自然と文化がどのようなものであったかを分かりやすく語っている。古代においては自然と人間は対称的な関係にあり、人間中心ではない世界観が存在していたのに対し、人間は国家を作り出すことで自然との非対称的な関係を作り出してしまったとされている。同時多発テロの勃発と同時期に行われたこの講義は現代の文明の本質的な野蛮さをも考えさせてくれる。
80年代に中沢先生の授業を、ずっと(違う大学なのにもかかわらずゼミに出ていた(笑))聞いていたが、同じニューアカデミズムの旗手として『構造と力』を書いた浅田彰さんと比較して、何と豊かな業績を残している人だろう。根本の思想こそ変わらないが、変幻自在にテーマを変えて、人々を知の世界誘う能力は、すばらしいものだと思う。<P>彼の出世作である『チベットのモーツァルト』以来彼は、チベット仏教を愛してやまないが、そうした仏教と彼が愛してやまないレヴィ=ストロースの『野生の思考』が、ぶつかる瞬間は、知的にものすごく興奮させられた。考えてみれば、中沢先生は、もともとクリスチャンの家に生まれているんですよね。それが、どうしてチベット仏教徒になったのか?(笑)<P>グローバル資本主義が全地球上を覆いつつあるいま、『国家』を作り出す能力と条件を備えながら、自然との対称性を考えて、倫理的に国家を拒否した、ユーラシア大陸からアメリカ大陸まで広がるからモンゴロイドの文化を、『神話』という軸で、描いた著作です。文化人類学が好きな人には、たまらなく刺激的でしょう。しかしそれよりも、僕としては現代のネイションステイツに対する根本的な批判を含んでいる講義に感じました。<BR>とりわけ、日常(首長)と非日常(シャーマン)の両領域で絶対権力を持つ『王』を生み出す条件を備えながら、倫理的意識的にそれを拒否する文化があった!という主張には、唸らせられました。<P>でも、これを読むと人類ってどこでつながっているかわからないですよね。太平洋を囲むサークルの文化的基盤が、ほぼ同型だといわれると、なんとなく民族とかで争っている我々がバカみたいな気がしますね。
「人類最古の哲学」に続くカイエ・ソバージュ(野性読本)の二冊目。「王」をいただくことによって大きく自然の「対称性」(バランス)から外れていく人類史を描き、その王や王国がもたらす「野蛮」への抵抗としての宗教、とくに仏教の意義に言及する。引き続き大学講義がもとになっており、読みやすい。