新しい経済学を目指して(?)経済の下に眠るモノの構造、モデルを、提案してます。贈与をKeyとしたモデルです。古代からの人間の活動、経済学のいろいろな学説から、導かれている感じでした。そのモデル・構造が、実は宗教的なモデル・構造、ラカンの提唱したモデルと同じだった・・それは、・・という話だったと思います。<P>考え方、見方、人文科学のモデルの考え方などは、参考になりました。<BR>ただ、紙面の都合か、講義という形式の本だったためか、「そう言われれば、そんな気もするが、どうなんだろう?」ということも多かった印象です。<P>特に、経済的な知識や宗教的な知識がなくても読めました。
「カイエ・ソバージュ」は、講義録の体裁をとっているだけあって親しみやすく、楽しい例をあげながら平易なですます体で展開される。<BR>もともと中沢氏の著作は話術にたけた饒舌系に属するからこの形式もそれほど新奇な感じもしないのだが、なんといっても「簡単に言うと・・・」という感じに懇切丁寧にかたってもらえるのがうれしい。 <P>第三冊目にあたる『愛と経済のロゴス』では『緑の資本論』で展開された純粋贈与の問題を、贈与、交換とみつどもえにしてラカンの「想像界」「象徴界」「現実界」とキリスト教の三位一体(精霊、父、子)に重ね合わせながら資本主義の問題とグローバル主義の現状の問題を絡めて説く。キリスト教の三位一体が資本主義を用意したのだけれど、プロテスタントでそれが爆発的充実を遂げたという遡及的分析はわかるのだけれど、どういうわけでそうなったかというしくみのほうの説明はいまひとつよくわからない。 <P>ともかく「グローバル資本主義の彼方に出現すべき人類の社会形態についての、ひとつの明確な展望を手に入れたいと願」っての論述は、昔々の清貧の思想に戻そうという無理を強いるのではなくて、この資本主義の祝祭空間を存分に享受しながら、たとえばクリスマスみたいに純粋贈与=愛に満ちた経済行為を蔓延させよう!と言ってくれているようで、なにやら未来が楽しげに思えてくる。<BR>『女は存在しない』で展開されたとおり、自然=女、とぬけぬけと言い放つあたり、違和を感じないでもないが、土偶やラスコー遺跡から発想するならどうしたって女=妊婦=豊穣となってしまうのもやむを得まいと思わせるのは、あまりに彼の思想が愛と善意に満ちあふれているからか。
経済の本質が実に丁寧に,そして鮮やかに描かれている。<BR>「純粋贈与」の概念を導入することによって,こんなにもすっきりと整理できるとは驚きである。<BR>しかも,大学での講義をもとにしているため,哲学書や思想書にありがちなまわりくどい文語体ではなく,平易な文章でかかれている。<BR>難しいことをわかりやく語ることほど難しいものはない!<P>現在,ビジネス書でとりあえげられているエモーショナルマーケティングやLinuxなどのオープンソースプロジェクトも,本書の文脈で十分理解できる。この本を片手に自分自身で思考をめぐらせれば,社会がどのような方向にすすもうとしているのかヒントを見つけられるのではないか。学生や哲学好きの方だけではなく,ビジネスマンにも読んで欲しいシリーズだ。