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| 炎立つ (5)
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高橋 克彦
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蝦夷(えみし)の誇りとは何であろうか。この物語の主題は、中央対辺境。その中で、辺境の側から中央を見る、という視点でこの物語は作られている。摂関政治は現代にもつながる管理社会である。そこから抜け出そうとすれば、新たな時代、武家社会しかない。しかし、武家の社会は一歩間違えれば、いやたいていはどの国も、まずは軍事独裁国家になる可能性が大きい。高橋克彦氏はそういう時代の流れの中で、そうはならない可能性もあったのではないか、とこの物語をつむいだのであろう。武家社会でありながら、合議制を本旨とし、平和を求め、国の産業を盛りたてることを目的とする国造り。それは東北という小さな国の中であり、しかも金山という産業があってこそ可能な国つくりではあったが、ここに蝦夷の誇りがあった。源平の戦を主題にした小説は幾多もあったが、いずれも、台頭する源氏を肯定する物語であった。しかし、そういう物語からは、人間の情愛、権力闘争はつくりやすいが、新しい時代を理想化しないと話が終わらない。時代から離れた者たちから、物語を作るということ、たとえば僧侶の立場から作る、ということも出来るだろう。ただ、それだと「国」の本質は見えてこない。当時、日本であって日本ではなかった地域から物語を作ることによって、初めてその時代の全体像も見渡せるし、「誇りある国」を小説は描くことが出来るだろう。我々はもっと、こういう物語を自らの物にしなくてはならない。たとえば、アイヌの物語。たとえば、琉球の物語。誰かきちんと描いてくれないだろうか。<P>ところで、この物語を読み終わった後、藤原氏みたいな闘いを現代でもしているところを思いだした。圧倒的な中央の力に屈せず、しかも媚びることなく、闘いの先を読みながら、長い長い闘いを自らの生活の一部にしながら、「命こそ宝」という経清にも通じる思想を全員のものにし、そして何度か勝利を収めた「国」が現在の日本にある。沖縄である。沖縄が日本に正式に入っていた期間はまだ100年にも満たない。沖縄から日本を見れば、日本の本当の姿が見えるのかもしれない。
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