ぱっと読んだときには、こんな詩は私にもかけるよ、と思ってしまうかもしれません。でも、やっぱり、他の人には書けないんです。簡単な言葉で(英語の方も中学生でも読めるようなレベルでした)ここまで表現できるのは彼女の才能のなせる業だと思います。この詩が1960年代に書かれていたというのも驚きです。いつまでも古典にならない鋭さを持った詩集です。<P>「イマジン」は、ジョンがこの詩集に霊感を与えられてかきあげたそうです。この詩集の中には、「想像しなさい」で始まる何篇かあります。でも、「想像しなさい」で始まっていない詩も、その詩の頭に( )書きで「想像しなさい」が入っているような気がします。例えば、「隠れていなさい。みんなが家に帰ってしまうまで。隠れていなさい。みんながあなたを忘れてしまうまで。隠れていなさい。みんなが死んでしまうまで。」なんて、実際にはできないですよね。作者は、「そんなことをするあなたを想像してみなさいよ。ほら、何かから解き放たれるでしょ?」と語りかけてくれているような気がします。<P> 1993年に、新たに出版されたこの本には、写真が詩に添えられています。それらの写真が、詩をよりいっそう引き立たせています。表紙は、二つ並んだグレープフルーツの影がハートを作り出しているのが分かるでしょうか。私が表現するとひどく凡庸になってしまいますが、甘いだけじゃなくて、苦さもある、グレープフルーツ(=人)が、二つ寄り添えうことで、ハート型の影(=愛)が生まれるってことなのかなあって思いました。影っていうのが、そのつかみ所がなく、移ろいやすい愛を的確に表していると思います。
オノ・ヨーコがメディアの質問に答える際に用いる言葉は、英語の場合も日本語の場合も、とても丁寧かつ語彙が豊かで、教養の高さを感じさせるものです。ゆっくりと言葉をかみしめるように語る彼女の姿には、昭和ヒトケタ生まれの日本人女性が持つちょっと古風な気品があります。ですから私はテレビなどで彼女のインタビューに接するたびに言葉の豊かさというものを味わうことができ、心がひとつ得をした気分になるのです。彼女がビートルズを解散させた元凶である「ドラゴン・レディ」とまで激しく非難された女性であることなどは微塵も感じません。<P> この「グレープフルーツ・ジュース」はそんなオノ・ヨーコの幅広い言語感覚のまた別の側面を私たちに見せてくれる作品です。<P> 禅宗では日常では起こりえないような事象を見つめることを要求する公案というものがあります。「グレープフルーツ・ジュース」に綴られる詩編はまさにこの公案のようで、「空にドリルで穴をひとつあけなさい」とか「転居通知を出しなさい。あなたが死ぬたびに」といった具合に、そんなことって実現不可能じゃないかと思うような世界が込められています。<P> しかし、言葉を絵筆のようにして実現不可能な世界を思い描く過程を見つめると、何か豊かなものが心の中に広がっていく思いがします。すべての生物の中で人間にのみ許された「想像する」ことで「創造する」という営み。何か新たな一歩を踏み出すがために、非日常を想像することの大切さを示している気がします。そこに大いなる魅力を感じないではいられない一冊です。<P> 巻末には原文の英文も掲載されています。それを声に出して読んでみると、翻訳に際しては残念ながらどうしてもあきらめざるをえなかった言葉の豊かなリズムを味わうことができます。
ジョン・レノンは誰でも知っていますが奥さんのオノ・ヨーコというと誰かよくわからない、という人が多いと思います。僕もその一人でした。<P>ヨーコさんを知ったのは確かテレビか何かだったと思いますが、そのときすごく、衝撃を受けたのを覚えています。何に驚いたか、というとその作品に、です。あまりに先進的、そしてあまりに原始的なそれらは、見る人にストレートに飛び込んで来ます。<BR>幼いころ、空見上げて思いませんでした?<BR>空を開くかぎがあったらいいな~って。<BR>そんな、作品ですよ。<P>そしてこの本は、決して押しつけない。読む人に。だから、すごく楽で気持ちいいんです。たとえば、よくありますよね、「私、かわいいでしょ?」っていいたげな絵とか。。。押しつけがましい。。<P>でも、!!ノヨーコさんは決してそんなことしない。見る人にも参加する、見る人にもクリエイティブな要素を与えるわけ。受動の展覧会じゃなくて、能動の展覧会、みたいな。。。<P>こんな昔に、こんな人がいた。それも日本人で。<BR>何でもあるこの世の中で、何かが足りないひとへ<BR>おすすめです。<P>ほら、読みたくなってきたでしょ?