すごい。すごすぎるよ。<BR>プロットを作るのだけでもきっと大変だったろうなぁと思うほど、登場人物やストーリーの形成がものすごく緻密。<BR>人物相関図を書いて整理したくなってしまった。<BR>どれかどこでどうつながるのか、中盤以降にならないと<BR>まったくもって判らない。<BR>そのあたりの伏線の張り具合や、場面の変わり方、<P>間の取り方の絶妙さはさすがだと思う。<P>心の闇や隙間に入り込まれると、人というものはこんなにも脆いものなんだ、と思った。<BR>長年培われてきたものも、あっという間に崩れ去る。<BR>小説の中だからこそ、魅惑的を通り越して、蠱惑的だ。<P>あの黒幕は再び登場することはあるのだろうか。
これは凄いぞ!京極は、精緻な細工物のような巧妙な作品を作ってきた。それによって賛嘆されてもきた。しかし、ここでは、自分から小世界での完成などというものを、爆砕させる。読み終わっても何も分からない。なぜ中禅寺は、「あれ」が「あの人」だと断言出来たんだ。あの老荘思想にかぶれた彼の嫌な元上司は、中国大陸で何を見てきたんだ。どうして、「あの人」は「あそこ」で「あんなこと」を言うんだ?読み終わっても、何も「始末」など付けられていないことが分かる。そんな「仕掛け」だ。「宴」は終わらない。始まろうとしているだけだ。
京極夏彦自身は「支度」と「始末」は別のもの。と言うらしいが、確かに不可能ではないがそれにしては「支度」の終わり方が不自然すぎる。やはり両方とも読むのがいいだろう。ただ自分の場合は間が空いてしまったが。<P> 下巻に入ってもすぐには本筋にはならない。また脱線して伏線が出てくるわけだ。まず、「支度」にはいなかった村上貫一という刑事。家庭崩壊中の中妻は怪しげな新興宗教に。加わって木場修太郎を捜している青木文蔵の視点と編集者である鳥口守彦の視点で基本的に展開される。苦労したのは登場人物が多いことだ。スローペースながら面白いので整理しながら読み進めるのに自分は苦労してしまった。読み終わってみるとそれもそのはずだと思う。だが、それだけの人を用意しての最後かというとどうも言えない。結末自体はミステリ的で好きである。よく考えてみれば、と何度思わされたことか。<P> スローペースであり、なかなか本筋にはつながらない。伏線でもあるからはずせない位置ではあるが。それでも飽きなかったのは京極夏彦の巧さなのだろうか。会話で人を魅了する力はあると再実感。村人五十人殺しの謎、成仙道なる怪しげな集団や、寿命が延びるとか言うみちの教え修身会、韓流気道会という武道集団。京極堂の「世の中には不思議なことなど何もないのだよ」を噛みしめつつ、じっくり味わって欲しい。長いが、読む甲斐はあると思う。