巻末に、ムベンベ探しの探検に加わったメンバーそれぞれの、当時の写真とプロフィールがある。読み進めながら、そこを何度となく眺めた。実にリアルなのだ。<P>ムベンベという幻の獣にリアリティがあるか否か、ということではなく、ムベンベを探し、アフリカの奥深くに、無謀にも踏み込んでゆく彼等の様子が、本当に生々しい。メンバーの殆どが20代前半。若さゆえの勢いがあるが、若さゆえの無謀ではない。<P>人間は、無謀なのだ、と気付かされた。<BR>良きにつけ悪しきにつけ、人間は無謀にも可能性を追う。<P>それを包み込む自然という得体の知れないものがあり、<BR>その自然に対し人間が奥深く入り込むことが冒険なのであり可能性なのだろうと感じた。<P>肉体的にアプローチする場合もあり、科学的にアプローチする場合もあれば、精神的にアプローチすることもある。<BR>その姿が人間らしく、面白いのだと思った。
早稲田の探検部というのはとんでもないところだと改めてあきれた。コンゴの辺りは「白人の墓場」と呼ばれたくらい死亡率の高い場所で、危険な病気の巣窟のようなところ。一人も死者が出なかったのが不思議なくらいだ。いや、大学のサークル活動で死者が出るかも知れないような活動を行っていること自体、どうかと思う。また、卒業後のメンバーがわりとまともな道を歩んでいるのにちょっと憤りを覚えた。<BR> 登場人物はそれぞれに個性的なのだが、コンゴの動物学の第一人者であるドクターの自己中心的な性格には非常に好感を覚えた。こんなひとが極限状況の探検隊にいたら、メンバーの結束が固まること間違いなしだろう。<BR> コンゴが共産圏だったとは知らなかった。
人はなぜ探検をするのか。そんな問いはつまらない。ある種の人々にとって、それはなぜ生きるのかという問いに等しい愚問でしかない。探検記の面白さは、感想や情緒を廃した徹底的なリアリズムにあるのであって、ほとんど日常の退屈さと紙一重の上にかろうじて読むに値する表現をなりたたせるのは、尋常でない出来事や痛快な行動などではない。記録はつねに事後に書かれる。すべてが終わり、あらゆる主観の軋轢や生の感情の錯綜が濾過された後で、しかし今なお完結しない物語として綴られるのだ。私にとってあの探検は何だったのか。それこそが問われるべき問いである。その答えを徹底したリアリズムでもって、克明にひとつの客観物として造形しえたとき、はじめてすぐれた探検記が生まれる。そういう意!で、本書で一番面白いのは文庫版あとがきだった。そこに記された「早稲田大学探検部コンゴ・ドラゴン・プロジェクト・メンバー」十一人の、消息不明の一人を含めたその後の人生が、読後の印象をやや濃いものにしてくれた。