私たちはなぜ自分の国に自信がもてないのだろう。私たちはなぜ自分の国を非難をすることが立派だと思いこんでいるのだろう。1945年の8月15日をもって民主主義の国になったのだろうか。それ以前の2000年以上にわたる私たちの歴史は誤りだったのだろうか。<P>この本を読んで、私たちが知らぬ間に植え込まれた劣等感と罪悪感がいかに狡知につくられたか、そしてその遺伝子を私たちが綿々と受け継がされてきたかがわかる。この本を読み、日本人としての誇りを深く自覚した。<P>「東京裁判」に「大東亜戦争」に、そして当時の指導者にどんな考えをもっていてもいい。まずはこの本を読み、「真実」を知ることから始めてほしい。
戦争には勝者と敗者がいるだけで、そこに正義はない。しかし、東京裁判という勝戦国によって行われた名ばかりの裁判によって日本は悪い所ばかりか、事実を歪曲されて全て日本の責任とされた。そしてそれは今あたかも真実であったかのように学校で教えられ、今もなお、多くの国民はそれを信じて疑わない。まずこの東京裁判についても殆どの人がしらず、なぜ日本が戦争という事態に突入したのか、その責任は誰にどういった形であったのかなど考えもしない。<BR> しかし、国際法という唯一の戦争を裁きえる法にのっとったのなら、その様な事は全て覆る。もし、このような事が曲がり通るなら力こそ全てという法則が成り立ってしまう。<P> 戦後50年以上経ち、やっと戦争について向き合える兆しが見えてきた今!、まさに読んでおくべき書であろう。
1963年に刊行された本書を、40年以上経った今、読み終えたところである。罪刑を確定する法律が無く、全裁判官と検事が戦勝国側、全被告が敗戦国側の人間で行われた東京裁判のいい加減さは本書を読む前から知っていたが、あらてめて東京裁判がどんなものであったのか、自分なりに整理するのに大いに役立った次第である。<P>著者は、東京裁判史観が予想を超えて、深く日本人の中に浸透してしまったことに危機感を抱いたせいか、パールの下した判決を解説するだけでなく、日本の正当性を必要以上に強調している面も見られる。しかし、東京裁判が裁判という体裁を整えてみただけの、単なる復習劇だったと言うことを良く理解できる著作だと思う。