危篤の父を見守る病室で、幾度もこの本を読み、幾度涙したか。<P> 本書は現代に生きる人々にも、十二分に賢治の世界にふれられるように、ひらがなの使い方もわかりやすく、難しい漢字にもルビをつけ、読みやすい形となっている。<P> 梅原猛は彼を日本を代表する宗教家と位置づけている。<P> 「無声慟哭」本書に収録されている一遍の詩の題名こそ、彼の苦悩する姿をよく表現している。<BR> 宗教的な意思から立脚し、人々の為に生きることを覚悟した自分が、妹の死というある意味利己的な現象に立ち向かったときに、彼は自らへの愚直さゆえに、妹の奇跡を祈ることが出来なかった。<P> 彼は多くの人々の為に涙する為に、彼の最も近い存在であり、最も彼をよく理解した妹の死を涙することが出来なかったのだ。<BR> <BR> 彼の純粋なそしてひたむきな、ある意味宗教的な願いは、この詩集を読むことによってその多くを理解できるだろう。
意識不明の父を見守る病室でこの詩集を読み、本当に何度も泣きました。 <P> ひらがなも現代のものに直され、難しい漢字には振り仮名もあり、大変読みやすく出来ています。初めて賢治の詩集を読んでみたいという方にもお薦めです。<BR> 彼のある意味宗教的な願いが、どれほど強くこの本には込められているのでしょうか。<P> 青森挽歌の最後の一節に次のような記述がある<BR>「わたしはただの一どたりとも<BR> あいつだけがいいとこに行けばいいと<BR> そういういのりはしなかったとおもいます」<BR>彼の心情をよく表した部分だと思う。<P> 全体が幸せにならなければ、自分が幸せになれない。そういう気持ちを強く持った賢治に、妹の快気を願うことがどれほどの苦しみであっただろうか。それらとの内にあった自らの葛藤を、悲しいほどに素晴らしく全体を通して表現している。<BR> 後半部分は、彼の教育や農業などの題材を使い、自らの願いをよく画いている。<P> 最後に直木賞作家の寺内大吉氏の賢治に対する言葉を紹介したい<P>「彼は法華経が描く広大でまばゆい宇宙系銀河の空間を北上川の夜空から透視することができた」
この作品は森羅万象を祈り、妹とし子を祈った作品です。<BR>自分自身を六道(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のひとつ修羅に自分自身を自己の位相を見いだしすべてを祈りそれらを心象スケッチにまとめたものです。<BR>自分自身、この詩集には助けを得ました。<P>数年前から多動性注意欠損症にかかり自分を失ったときにもう一人の自分の存在を教えてくれました。<P>病気で苦しんでるときに苦しむのではなく自分自身から距離を置いて様々なものを(憂悶と悲傷)見据え自分だけではないすべての人に痛みを知ろうとそして世界の真ん中の清らかでありますようにと煩悩ばかりですがその中から喘ぎ苦しんでいるとき自分の中に修羅を見いだしたとき本当に助かりました。<P>この本は旧かなですので彼が見据えた世・・祈りの言葉が非常に鮮明にイメージできます。