全て読み終わる直前まで「沈まぬ太陽」は再建された飛行機会社が<BR>安全な旅客機運送を行うようになる事の比喩だと思っていた。そういう<BR>伊丹十三的世界をどこかで期待していたのかもしれない。或いは「白い<BR>巨塔」や「不毛地帯」がそうであるような鮮やかなラストを。<P> 全然、違っていた。<P> 勿論小説の原型となった事実がそうであるわけだから、それをなぞっ<BR>たに過ぎないといえばそれまでである。また、小説といってもはっきり<BR>解る企業名、政党名、個人名で糾弾されている人達や利害関係者からの<BR>自己防衛、自己弁護的論難とは別に、この書が今一つ受け入れられなか<BR>ったのは、「小説的構成」としてのカタルシスを山崎氏が最後まで与え<P>なかった事だろう。<P> それは何故かと考えるに、本書に限っては、山崎氏は小説的構成の対<BR>象である小倉氏(恩地氏)に対し、公憤のあまりか距離を最後まで持ち<BR>得なかった点であるように思う。それが告発書としても、日本型企業組<BR>合である鐘紡の家父長制的労使関係を無批判に了としてしまっており、<P>小倉氏や伊藤氏(国見氏)側が持っていた組織運営上の陥穽について無<BR>頓着に留まっている。<BR> <BR> 要するに「白い巨塔」等で展開されていた、人物像の複雑性が織り成<BR>すドラマではなく、失敗し蹉跌した勧善懲悪物語に留まってしまってい<BR>るのが、山崎豊子が持つ独特の魅力を逸しているように思えてならない。
初めて買った新潮文庫がこの「沈まぬ太陽」でした。当時まだ私は会社が舞台となっているこういうカタめの本を読んだことがありませんでした。だからイメージ的には、「悪いおっちゃんがいっぱい出て来て主人公を困らせる話」だった訳なのです。主人公に希望の見えないラストは今思い返してみても何ともやるせないです。<P>将来社会に出た時、周りにそう味方はいないでしょう。仲間と意見が合わず落ち込んだ時この本の恩地や国見を思い出し、どんな時にも勇気と良心を忘れずに全力投球していきたいです。
新たにクローズアップされる乱脈経営の国航開発の社長、「岩合天皇」の野心とそれを取り囲む不正と利権の渦。その中にあえて分け入ろうとする会長国見と恩地だったが、彼らを取り巻く状況はすでに四面楚歌の末期的状況であった。<BR>信頼していた総理大臣側の背信、社長、副社長ら旧国航幹部の事なかれ主義、そしてマスコミの卑劣な歪曲報道・・・。<P>身も心も疲れ切った国見は、ついに会長職を辞する決意をする。<BR>結局快刀乱麻を断つような打開策は何一つ残せなかったことを悔いる国見だったが、物語は終盤、意外な展開を迎える。<BR>明確な答えはラストまで出ては来ないが、良心を信奉して戦い続けてきた者達の執念が、巨悪に一矢報いる結果を導いたと解釈しておきたい。<P>国航を取り巻く、どうしようも!い腐敗体質を、最後まで書き尽くした。これが「リアル」だとすると、やりきれない思いも抱くのだが。