高野悦子は鉄道自殺によって短い人生に幕を閉じた。<BR>そう知ったうえで初めてこの本を読んだら<BR>最後の方は読むのが恐くなってきました。<BR>この人は死ぬんだ・・・。そう思うと<BR>読むのが恐くなってくるはずです。<P>しかし何故か読み終えたあとは<BR>呆気に取られるかんじでした。<BR>しばらく心が落ち着かず<BR>色々なことを考えてしまいました。<P>強く自分を意識した末に自分の弱さに<BR>気づく。その時自分はどう思うか<BR>それが大事なのではないでしょうか。
本書は、一九六九年六月、二〇歳で自殺した立命館大生・高野悦子が書き残した日記を編集したもの。<P>なお、大学入学までの『二十歳の原点 ノート』と大学入学後の『二十歳の原点 序章』と自殺直前までの本書が一連のシリーズをなしている。<P>強い問題意識を持って立命館を選択し入学した後、勉学と当時吹き荒れていた学生運動との間で、高野が引き裂かれていく姿が、強い感受性に基づいた記述の中から読み取れる。<P>そしてその「引き裂き」の中で読書・友人・恋愛・運動・バイトを含めた生活を通じて、自分自身のあり方を、徹底的に模索しようとする姿が生々しく描き出されている。それは、あまりに強烈な、ほとばしるような「生」である。<P>結局は、こうした学生時代・若い年代の「引き裂き」と自分自身への「問いかけ」に何らかの形で着地点を見出し、いわば「妥協」することが次の段階であるとしたら、高野は徹底してそれを拒み、「引き裂き」と「問いかけ」の中に身を投じきった。<P>そしてその激烈な「生」の着地点が、まさしく二〇歳での「死」であったのだ。
事実は小説より奇であるわけだが、本書にはよい日記文学の持つ独特のリアリティーとエネルギーが余すことなく表現されている。学生運動世代が共通に持つ高い問題意識と理想、そして常に理想と自分との間に浸潤してくる耐え難い現実。これらが、十代後半から二十歳にかけての著者の豊かな感性を通し、決して飾り立てることのない、生々しすぎるほど率直な「声」で表現されている。本書のクライマックス、筆者が自らの命を絶つ前に書いた、あの美しい詩には、深い感動をおぼえずにはいられないだろう。まさに魂を揺さぶられる本である。