青山二郎は、やきものの鑑定だけでなく、文学、絵画方面にも才能があったといわれている。にもかかわらず、肩書きを持たず終生自分らしく生きてきた人物であると、白洲正子さんがわかりやすく解説している。青山二郎の著書もいくつかあるが、「わかりにくい、読みづらい」と感じるところを、この本を読むことによって謎がとける…という読みごたえのある本である。青山二郎を理解するには必携の書の一つだろう。
青山二郎の独特な美意識を彷彿とさせる装丁に、単行本が出版されたとき、まず目を奪われた。装丁は、単行本のほうがその雰囲気をより強く伝えてはいるが、文庫本でも趣を失っているわけではない。むしろ、手持ちの文庫本に美しい彩色を施していたという、彼のエピソードを思い起こさせられる。<P>彼をめぐる人々の行き来は、一般に小林秀雄との関係、大岡昇平や河上徹太郎との交流などがよく知られているが、本書で出色なのは、むしろ女性たちとの交友である。武原はん、坂本睦子、花園アパート在住のバアのマダムなど、ある種の哲学をもった女たちが登場する。特に、バアのマダムの夜半の奇妙な振る舞いを「これが思想だ」と、世間知らずであった筆者に見せるくだりは、ジイちゃんここにあり、といったとこ!ろである。<P>芸術新潮に連載されたという、白洲正子による青山二郎の評伝は、このようなエピソードの集成により「何者でもなかった青山二郎」の「何者でもなさ」を、最後の弟子として間近で接した者として、ただそれのみを伝えるために語った秀作である。