本書の描く3世紀のローマ帝国では、次々と皇帝が変わります。<BR>そして、世襲ではないその皇帝の選ばれ方は、様々です。<BR>「選出方法に決まりが無く、世襲でもないローマ皇帝の正統性とは何なのか?」<BR>この疑問が、本書を読むと、最初から最後まで付きまといます。<BR>皇帝が暗殺され、ある軍団の将官が突然皇帝になる。<BR>しかも泥臭い政争も無くです。<BR>全く持って信じられません。<BR>ここいらの事情をもっと詳しく書き込んで欲しかったと思います。
塩野さんの著作は、いつでも自分の思い入れをそのまま読者に訴えかけ、自分も気持ちよく読ませてもらってます。<P>ただ、今回は塩野さん自身のこの時代への思い入れが弱いせいかもしれませんが、カエサルを描いたⅣ・Ⅴ巻などと比較すると、文章の躍動感が今ひとつという感が否めません。(描かれている時代自体がそういう時代なのかもしれませんが・・・)<P>もし、今の日本の時代を後代の作家が文章にするとすれば、とてもつまらない内容になってしまう、ということを塩野さん自身が、この時代の描写を通じて読者に訴えかけたかったとすれば、それは成功しているのかもしれません。
いままで、ずっと毎年読んできて、大したものだなぁと思っていたけど、ちょっと、見方が変わるところが出てきました。<P> 塩野さんは、疑問を持ちつづけるというような場合の「持ちつづける」ことをイタリア語では、アカレッツァーレ(accarezzare)愛撫する、というみたいなことを書きながら、キリスト教迫害の歴史について後半、触れていくのですが、「聖パウロが書いた『使徒行伝』」とか超初歩的な誤りが多すぎる…。一回でも読んでみれば、ルカによる福音書と同じ著者が『使徒行伝』を書いているのは同一人物だというのはわかる。「パウロを描いた」といいたいのが筆が滑ったのかもしれないけど…。あと、洗礼者ヨハネと福音書を書いたヨハネを混同しているなど、後半のこの部分はメチャクチャ。本当に「ずっと疑問をもち続けてきたんかい!」とか思ってしまう。<P> 最初の『ローマは1日にしてならず』が出たのは1992年7月7日で、しばらくは夏になると塩野さんのローマ人の物語が読めていたんだけど、段々と押されて、最近は12月ということが多くなった。ひょっとして、年内に出そうと急ぎすぎたのかもしれないけど、塩野さんと『ローマ人』に対する評価がガクッと下がってしまった…。<P> 資料をきっちり読みこんでやっていると思いたいけど…。これからは、やっぱり「物語」として、気軽に愉しんでいこうかな、と思った。まあ、本来、そういう意図なのかもしれないし。