とりあえず、引き込まれたのは確か。本から離れられなくなり丸1日上下巻を一息に読む事に費やされてしまった。それから残る良い言葉が所々ある。特に戦争についてのいくつかはどちら様も是非ご一読頂きたいと思った。けれど、これどうなるんだろうという思いで読みつづけた私は読後空虚な置いてけぼりな気持ちになった。図らずも(か図ってか?)それはフランツ・カフカのやり口に似ている。けれど、それはF・カフカだから許されるのであって誰もがやってしまったら、読書の愉しみが減ってはしまうじゃないか。つまり、本を読む時に、いつもいつ突然物語から突き落とされるか心配しつつでなくてはいけないとしたら私は、かなり嫌だ。試験前に読書に没頭してしまう愚か者にもわかるもう少しだけクリアで親切な結末がほしかったであります。私はね。
高校生の時に『ノルウェイ』を読んでから、村上春樹ファンです。<BR>賛否両論あるみたいですが、私はこの作品も面白いと思います。<BR>趣は異なりますが、主人公が違うけれど、どこか共通点があり、どちらも何だか不完全な感じがするところが、『世界の終りと~』に似ていると思います。<P>ナカタさんと星野さんの方は、現実味がないんだけど、どこかほのぼのして読みやすかったです。
村上春樹本をひさしぶりに読んだが、さすがに面白い。<BR>「性嗜好」でなく「性指向」という表記が正しい、とか免許証を見せても、男性か女性かは表示されたないのでわからない、とか細かい突っ込みはやめておく。<P>Platonいうところの不完全な半球である人間は、もう片割れの半球を追い求める。完全な球とならない限り、人間はカフカの「変身」のような不確実な存在でしかないのだから。<BR>主人公、カフカ君は自己存在の不確実さに不安を抱き、旅に出る。<P>それは、完全に閉ざされた世界(純然たる陸地である長野、中野)から、別の世界と接する場所(海と陸とが接する海辺、limbo)ヘの旅だ。<BR>この旅により、少年は大人へとなる。<P>大人になる上で重要な役割を果たすのが大島だ。<BR>大島といえば「性同一性障害と法」などの著作で知られる大島俊之先生と同姓なのも偶然か必然か。<P>ともかく大島はその名の通り、女から男への性同一性障害だ。<BR>少年が大人になる時には、Star WarsのYodaのような導師が必要だが、それが大島だ。<BR>大島は性同一性障害であるがゆえに、androgynousであり、1人にして、すでに完全な球なのであろう。だから師となりうるということだろう。<P>まあ、これは非常に安直な発想なのだが、古典的物語では、男女両性具有者は偉いと相場が決まっているのしょうがあるまい。<P>結局、欠けた半球はみたされぬまま、愛された記憶などで補って行くことで大人となり、人間は生きていくというのは非常に古典的な結末。<BR>まあ、そもそもエディプスコンプレックスがテーマなのだから、そうなるのも無理はないが。<P>結論的には、はるか昔からある、べたベタの古典的ストーリーを村上春樹的にリメイクしていただいた、って感じの作品でした。