私は、写真に関して全く造詣が無く全くの無知です。親が写真が趣味でたまたま家にあった本を手に取りました。荒木氏は奇抜な風貌。。この程度しか知りませんでした。<P>こんな、私ですがこの写真集を見て胸が詰る思いでページを捲りました。この写真集においては写真撮影の技術や構図の巧みさというのはあまり感じませんでした。荒木氏もこの写真に関してはあまりそのような事を意図していなかったかもしれません。妻の死の直前直後だけに、思いの丈を気の向くままに、おもむくままに撮りたい衝動と共に撮ったような印象を感じました。それだけに、私のような写真に関して素人な人間でもストレートに写真の感情が伝わってくるようでした。<P>この写真集を見ていると荒木氏の写真と共に閉じ込めたその時の感情が、私がページを開く度に伝わってくる感じがします。「写真」というのは、字の如く真実を写す事なのでしょうが、その時の撮影者の気持ちを「映す」というのが写真の真髄であるし、特別な構図じゃなくとも、特別な撮影技術じゃなくとも、素人でも伝えられる物こそ写真なのかな?と感じました。<P>例えば、例を挙げると妻が亡くなった後の車窓からの薄暗く流れる風景は、私の祖父が死んだときに見た車窓からの薄暗く重々しい風景とシンクロしましたし、その感じが荒木氏の心象風景そのものだったのでしょう。妻の死後に窓辺を見つめる猫の写真や溶けていく路傍の雪それらも全て著者の思っている感情の反映に他ならない気がします。感じ方は人それぞれでしょう。<P>暫らくの間、麻痺していた私の感情を久々に動かしてくれた気がします。
この写真集は、センチメンタルな旅、つまり、彼と、陽子夫人の新婚旅行の風景から始まる。写真というのは撮ってしまった瞬間にその風景は過去のものとなる。もう2度とそこに戻れない風景になる。初夜の風景、乱れた寝具まで生々しく撮られているのだが、ひどく物哀しい。ひどく物哀しいのだが、最後までゆっくりとページをめくっていくと、その物哀しさがある種、「昇華」されているように感じる。納得。諦め。でも、諦めているんだけど、ふっ切れているような、どこか晴れやかな感じもします。でも、ふっ切れていて、晴れやかなんだけど、それだけに、喪失感が余計痛々しい。とてもとても痛々しいので、ほんとうに大切にするべきなのは何なのか、時折、思い知らしめてくれるような気がします。
この写真は2部構成になっていて、前半が新婚旅行のときの写真集「センチメンタルな旅」、<BR>後半は陽子さんが入院してからお葬式が終るまで、の写真集「冬の旅」になっています。 <P>私がこれを初めて手にした当時はまだ身近な人間が亡くなるとゆう経験はなかったけれど、 <BR>でもその写真たちの生々しさや、目線の愛情や悲しさがすごくしみてきて、ものすごい感動とゆうか衝撃をうけました。 <P>いつも一緒にいた・それが日常だったはずなのに、その家族・しかも愛する妻が、家からいなくなり(入院して)、 <BR>そしてだんだんだんだんと死に近づいていくのを、ただいつもそばで見守り、<BR>そして最期目の前からいなくなってしまった後、その時間達を切りとった写真、それを並べていく・・・<BR>アラーキーはそうするしか考えられなかったんじゃないか・それしか出来なかったんじゃないか、<BR>でもその作業のなんと・・・せつなく、痛く、愛しいことだったろうか、と思わずにはいられないのです。 <P>そしてそれが1冊の本になったときに、そのままをダイレクトに見せられ、伝えられるこちら側のその衝撃とゆうか、 <BR>感動とゆうか、・・・やっぱり受ける気持ちの感情の動き?は、何年たっても変わったり褪せたりするものではなく、 <BR>以前よりもっといろんな出来事や経験を通り過ぎ感じてきた分、それはより一層強く感じられる、気がします。 <BR>そして何かある度に開いてはそれを思い、泣いてしまうのです。 <P>ぜひ一度見て欲しいと思う写真集です。