歴史というのは偏るものですが、偏り方があまりに甚だしすぎる西洋音楽史を、まずは素直に見直そうというもの。とうの昔の議論なのかもしれませんが、専門書は肝心な人たちに読んでもらえないので、このような普及本は必要ではあります。(…2004年になってようやくというのは、むしろ驚くべきこと。)<P> ただ、ドイツたたき色があまりに濃厚で(16世紀のイタリアでは逆に北方・スペインの音楽家が優勢のような…)週刊誌のスクープ記事のようになってしまい、現実味に欠く印象。よく聴きもせずただ単に“幻の音楽が好きだ”と言ってみたいだけなのではないかと…。著者自身がドイツ・モダン・クラシック趣味の中に留まりながら、主流派を揶揄するために文献をひっくり返してきただけのような据わりの悪さを感じます。説得力もいまひとつで、生まれながらの“ドイツ方言”で会話がなされている現在のクラシック界においては、この本を読んでドイツ系以外の音楽を実際に味わい始める(単に聴いてみるだけなら簡単だが)人はむしろ少数でしょう。<P> 私たちは18世紀イタリア音楽をつまらないと思ってきたのですが、それは今日でも楽しめるものなのか、どのように接すると楽しいのか、ということが解説されるべきで、“歴史観の形成”という論点はあくまでそれを考える材料に過ぎません。ドイツ偏重を論じることは、その美観から見えてこない美感に基づく音楽を、自然に好意的に捉えなおすための手段であるべきです。シューマンたちは時流の中で必死に頑張っただけで悪者ではありません。
歴史というのは偏るものですが、偏り方があまりに甚だしすぎる西洋音楽史を、まずは素直に見直そうというもの。とうの昔の議論なのかもしれませんが、専門書は肝心な人たちに読んでもらえないので、このような普及本は必要ではあります。(…2004年になってようやくというのは、むしろ驚くべきこと。) <P> ただ、ドイツたたき色があまりに濃厚で(16世紀のイタリアでは逆に北方・スペインの音楽家が優勢のような…)週刊誌のスクープ記事のようになってしまい、現実味に欠く印象。よく聴きもせずただ単に“幻の音楽が好きだ”と言ってみたいだけなのではないかと…。著者自身がドイツ・モダン・クラシック趣味の中に留まりながら、主流派を揶揄するために文献をひっくり返してきただけのような据わりの悪さを感じます。説得力もいまひとつで、生まれながらの“ドイツ方言”で会話がなされている現在のクラシック界においては、この本を読んでドイツ系以外の音楽を実際に味わい始める(単に聴いてみるだけなら簡単だが)人はむしろ少数でしょう。<P> 私たちは18世紀イタリア音楽をつまらないと思ってきたのですが、それは今日でも楽しめるものなのか、どのように接すると楽しいのか、ということが解説されるべきで、“歴史観の形成”という論点はあくまでそれを考える材料に過ぎません。ドイツ偏重を論じることは、その美観から見えてこない美感に基づく音楽を、自然に好意的に捉えなおすための手段であるべきです。シューマンたちは時流の中で必死に頑張っただけで悪者ではありません。
痛快な本ですね。劇薬です。あまりに刺激が強すぎて、使用には充分注意をするべきです。熱烈なクラシックファンたちにはお薦めしません。<P>まず、クラシック音楽がこれほど近寄りがたいイメージとなったその理由がよくわかります。<P>また、宗教の世界、貴族社会、そして庶民へと音楽がどのように浸透していったか、日本の音楽教育がなぜドイツ音楽びいきなのか、かつて華だった声楽曲がなぜ器楽曲にその地位を奪われたか、など興味深い話題が満載です。<P>特に作曲家の神格化について苦言を述べているのは新鮮ですね。音楽に息吹を与えるのは作者である作曲家ではなく、むしろ演奏家であるという事実をミュージカルや演歌などの例をあげ説明します。<P>カリスマドイツ系作曲家たちも一刀両断。ベートーヴェン(氏によれば正式名はベートホーフェン)は、音楽を巧みにppからffへコントロールすることで、聴衆の興奮を呼び起こした「人工的演出」に長けた作曲家だ、などと物議を呼びそうなことを書いています。読んで怒り狂うファンは多いでしょう。自称ベートーヴェンフリークの私も、少しこめかみをピクピクさせましたが、まあ、ひとつの意見として楽しく読ませて頂きました。<P>あまり聞く機会がなかった作曲家のことを知ることができたのは大きな収穫でした。音楽の興味がますます広がりました。<P>とにかく、ドイツ系作曲家に対する辛口のコメント等細部にとらわれると本書の魅力は半減します。「音楽史」ではなく、クラシック音楽の世界の歴史的な流れを自然体で知るための読み物として楽しんでください。