両氏は、日本を代表する陰(大江氏・強烈な精神性)と陽(小澤氏・強烈な音楽性)であろう。その束の間の共生記録である。人生の総括を始めた両氏の貴重な意見交換である。日本人としてのアイデンティティー「個」の必要性をこれほど痛烈に感じている人は、日本ではほんとうに少ないように思われる。<P>二人の言葉は、日本人として世界で生きるためのヒントを内包している。言葉なんかよりももっと大切な日本人としてのたましいは、いかにあるべきかを問いかけている。それは、日本が日本以外の真似をするところからはなにも生まれない、ということだろう。<BR>われわれが真摯に考えるべきことは、陰陽の強烈な対立の後にのみ体現される、止揚なのではないか?
簡潔で自然な言葉で意味深いことを語ることの魅力は、二人の芸術家としての感性の豊かさ、鋭さ、そして国際人としての人生経験から生み出されるものだと思う。文学者、音楽家、として生きながら、それぞれの狭い世界に閉じこもることなく、日本の社会問題や国際性、教育、と幅広い領域に関心を持ってコミットして考えをのべる。でもそれはまた同時に、文学者、音楽家である彼ら自身だからこそ語り得る、小澤征爾、大江健三郎のことばによって表現されている.彼らが対談の中で、強調している「個」として生きることの大切さ、に共感させられながら、その実践者であるふたりの人生の先輩に新たな感謝と敬意を覚えました.
「自分の木」に続いて読んだ。世界に通用する,二人の「自立した大人」の対談は考えさせられるところが多かった。<BR>自分自身を振り返るととてもUpstandingにはほど遠い。<BR>最も印象に残ったのは「ディレクション」。日常の会社生活でも,人(心であれ体であれ)を動かそうとした時,何をするにもこれは必要なのだが...<P>これからの時代に求められる人間像(チョット堅いか?)を模索する上での良い指針になる。<BR>願わくば,小澤氏にもっと語って欲しかったが,特に音楽に関しては,別の機会に期待しようか・・・?