それぞれの登場人物がそれぞれに個性的で、かつ知らない間にしがらみを持って生きているのだが、それぞれに懊悩して生きており、<BR>これが、常人でこれが非常人だという観念を奪われてしまう内容。<P>そもそも正常と異常の境目なんて、誰が決めるものでもないし、今の自分の生き方でいいんだなと、辛いけどいいんだなと納得させられる内容で、人生に迷ってる人、己に迷っている人には是非読んでいただきたい本である。
主人公小平次は、薄い男である。鏡の表面のような男である。それに出会ってしまうことで、主要な登場人物達は、おのれの鏡像と直面するはめになる。二重の身体を持たされてしまう。鏡像の世界である。小平次は単に「覗く」のではない。「覘く」のである。「占い」の文字を含む。人間は、自分の過去と現在と未来を、占ってしまう。そこに生じる悲喜劇を、京極は三幕の大江戸妖怪芝居に描き切った。終幕の女が全身で、この鏡をぶち破り、分裂した己れを回復するクライマックスのカタストロフィーは比類がない。純粋な恋愛の劇である。
「巷説..」や「伊右衛門」と同じように、いろんなしがらみや<BR>人間の汚い部分とか、哀しさやら色々なものが入り混じっている世界観で<BR>お話が進んでいきます。<BR>前出二作品では、読んでいると、どろどろとしたやりきれない心境ながらも<BR>どこかしら救われる部分があるのですが、<BR>これは読後その「どろどろ」がいつまでも取れません。<P>「哀しいなあ、やりきれないなあ...」という気持ちに<BR>いつまでも浸り続けたい方にはオススメです。<BR>とことんまで落ち込んで行きたいときに、ついつい手にとって読んでしまう<BR>底なし沼的一冊です。<BR>私は年に何回かお世話になって、いつもすっきりしています。