~さすがに耽美な世界である。10年前に初めて読んでから、久しぶりに読み直した 。耽美小説はあまり好んで読みはしないが、本書は別格であり、時々忘れた頃に何度も読み直している。<BR>当時は物の見方の切り口に驚いた覚えがあるが 、 今なお読み直しても新鮮~~ 。全てが共感できるわけではないが、始まりから終わりまで、自分の美学を感性と理論と行動で貫き通すその姿には脱帽だ。ちょっと違和感があるかもしれないが、私にとっては美輪明宏氏となんとなく被るところもある。~
陰翳礼讃、この文章とのはじめての出会いは、たしか高校生だった。<BR>国語の教科書に、一枚の写真とともに文章の一部が載っていたのだ。<P>写真はモノクロで、古い和室(寺か?)の開け放たれた丸窓から、<BR>その向こうにある庭の一部が覗いている図だった。<BR>白と黒のドットからなるその写真は、谷崎潤一郎の<P>文章を読み見つめると、なぜかモノクロながらも鮮やかな印象を<BR>私に抱かせた。<BR>背中がゾクゾクしたのをおぼえている。<P>あの時、「陰翳の美しさ」を感じられる場は、少しながらも<BR>まだ私の身近にはあった。<BR>あれから10年近くが経ち、闇を打ち払うかのように煌々と明るい所を出入りする自分は、<P>再びこの文章を読み、あの時のゾクゾク感を味わえるだろうか。
谷崎潤一郎。大家で、顔が怖くて、しかも「陰翳」とか、礼讃の「讃」などの文字も怖い。しかも本書『陰翳礼讃』は、表面的に見れば「昔は良かったよなぁ」なんてまとめられかねない作品。「フツー」はこんな本、教科書で名前を覚えておくくらいで、わざわざ読もうなんて思わない。<P>しかし本書。谷崎潤一郎なんて大家が書いたにしては読みやすい。わかりやすい表現で論旨もわかりやすい。そしてよく読みこんで見れば「昔は良かったな」で総括できるオッサンの繰言なんかではない(だからこんなに評価されて現代に伝えられているわけだけれど)。<P>文中に取り上げられている、日本人の培ってきた陰翳の美は、個々に見れば「よくある」ものだし、何度も耳にした見解に過ぎない。しかし「陰翳」がどれだけ日!!人の生活の中に存在したのかということが実感を伴って感じることができる。<P>本書に収録されているのは「陰翳礼讃」、「懶(字が出てこないため、谷崎が文中で指摘する誤字で代用)惰の説」、「恋愛及び色情」「客嫌い」「旅のいろゝ」、「厠のいろゝ」。いずれも「陰翳」を礼讃する谷崎のわかりやすいエッセイだ。