マキアヴェリの「君主論」といえば、いわゆる権謀術数主義として、目的のためには手段を選ばない非道徳的な主張がイメージされるが、それが曲解に過ぎないということは、実際に読んでみれば明らかである。<P>「君主は、民衆を味方につけなければならない」<BR>「君主は、けちだという評判など、少しも気にかけてはならない」<P>「だれからりっぱな進言を得たとしても、よい意見は君主の思慮から生まれるものでなければならない」<P>といったような主張について、理路整然とした場合分けに基づき、具体例とともに、明快な論拠が示されている。これは、現代の為政者や、企業のマネジメント層にも、そのまま当てはまるであろう「上に立つ者」のあるべき論なのである。<P>具体例は、当時のイタリアのものが多いため!、なかなかぴんと来ないが、詳細な訳注により、おおよそのことは理解できる。古典としては、きわめて馴染みやすい部類と言えよう。<P>約250ページの本であるが、本文は約150ページであり、残り約100ページを占める訳注と解説が充実している。また、和訳も非常に読みやすい(おそらく「君主論」の和訳としては一番読みやすい)。お薦めの一冊である。
良くも悪くも、様々な言われ方をするマキャヴェリの『君主論』。そこにこそ、この本の魅力がある。<BR>この古典は、ボダン・ホッブズ・クラウゼヴィッツ・モーゲンソーなどの淵源であり、リアリズムの源流である。政治学・国際政治学を学ぶ人間にとっては、避けて通れない基本書である。<P>『君主論』は、権力政治(パワーポリティクス)が支配する世界における、言わば「処世術」であり、どのようにすれば君主が権力を拡張し得るかを描いた、渾身の作である。これを読めば、当時の政治相が部分的にも理解できるだろう。<P>また、「秩序」を重んじるリアリズムにも考えさせられる。秩序のためには「獅子にも狐にもなり得るようでなければならない」とする立場は、リアリストの現実対応における強みであり、リ!ベラリストのオールタナティブを提示する能力の低さを明らかにする。
よく言われるような本ではないが、かといって善意には囚われてないと言った印象を受けました。<BR>必ずしも、民主的とはいえないけれど、安定した政治を行うにはどうしたらいいかが書かれています。平和が武器によって維持されていると認識させられる本です。ただ、民衆の支持をえるべきだと言っており、暴虐な君主を肯定しているわけではありません。