脳科学・神経科学の現状の簡単な紹介として問題ないと思われるが、<BR>「私」のミステリーという題名に期待して読むと肩透かしをされることになる。題名のテーマに関連する掘り下げは何もないからである。<BR>クオリアの問題に関して、この著者が言えるのは、脳全体の関係性とか<BR>システムとしての全体性といった、無内容な何でもない言葉に過ぎなかった。
クオリア、アフォーダンス、脳の時間、心の時間などいろいろな理論を紹介している。脳科学の理論を眺めるうえでこの本は役に立つ。また説明もわかりやすく、身近な例などを出してすっと入り込めるように工夫されている。私は脳科学については知らないことだらけだったので、興味深く読めた。最後に著者は「錬金術」をもじって今の脳科学は「錬心術」でまだ頼りたいものであると言い。「錬心術」から抜け出すにはこつこつ研究するか、それをしつつ新たな発想が生まれてくるのを待つことだという。全く同感であり、それこそ科学の進歩に必要なんだなぁと思う。
ここ1年で随分と脳に関する本を読んだ。(もちろん私にしてはだが。)その理由を考えたとき、第一の理由はそこに「哲学と科学が交わる」期待感があるからだと気付いた。2000年以上前から脈々と続いてきた学問と、最先端の学問が接触することで私達は何を発見するのだろうという期待だ。これは、映画「コンタクト」を見たときの感想を思い起こすことで気付いた。<P> 「コンタクト」は、科学技術の粋を集めていくことのできた新しい世界が古来からの宗教的世界と同じになっていた、という話だ。本の中に出てくる「志向性」という言葉から私はサルトルを連想したし、「自分が自分であることのリアリティを感じるためには・・・逆説的だが、他人にも心があることを悟る必要がある」という言葉からは孔子や聖!!言葉を連想した。おそらく脳の研究がこういった古来からのさまざまな学問をベースにして発展したからこのような連想が生まれるのだろうが、いずれにしても私は脳の研究が、中学生の時以来疑問に思い続けている「人間とは何か」という問いに答えてくれるのではないかという期待を寄せてしまうのである。