前作のハッピーエンドから、またまた厳しい現実を<BR>つきつけられる展開。ベストを尽くし、天才少女シーラが<BR>幸せになれる未来へのレールを用意出来ていたと<BR>信じていたいたトリイは、ローティーンのシーラに再会し、<BR>驚愕する。子供の彼女からは語られなかった当時のもっと<BR>凄絶な虐待の真実を淡々と語るパンク少女シーラ、<P>トリイとの幸せだった思い出の忘却、そして母への<BR>思慕に押し流されるシーラ。大ドンデン返しです。<P>ところで、これ前作も★5つじゃないのは、<BR>高過ぎるから?純文学じゃないから?<P>本作では「障害児」から「障害児をサポートする」<BR>側へと変わるシーラ。<BR>ここでもまたトリイは可能な限り、シーラをサポート<P>します。これは童話の様なハッピーエンドじゃない。<BR>けれどシーラが成長する現実の素晴しさはそれにまさると<BR>思います。<BR>前作とも、これ程胸を打つ本を私は知らない。
本や映画でも滅多に泣かない私が泣きました。<BR>そこら辺によくある『~万人が泣きました。』と書いてある帯がかかっている物語より断然感動します。<BR>ノンフィクションなので、読んでいて苦しくなるところもありますが、読み終わるととってもスッキリしました。<P>『シーラという子』の続編です。読んでいない人はそちらからどうぞ。
人間の人生は、ある年齢のある期間で完結しません。6歳のシーラをある程度客観的に書いたのが前作「シーラという子」です。本書では、14歳のシーラと作者トリイのいずれもが主人公といえます。「大人と子供」の関係が「大人と大人の関係」に移り変わっていく過渡期を描いているからでしょう。<P> 2冊をあわせて読んで、もし前作だけで終わりにしていたと比べたら、より多くを感じられたと思います。あたりまえですが、6歳の子供の現実はそれだけで終わってしまうことはなくて、その後成長していく限りも続いていくわけです。人間は複雑で、単純な一時期だけのストーリーだけで語り尽くせないのだと思います。<P> 子供に関わる喜びだけでなく、その怖さも思いました。