現代を蝕む最悪の「病」。それは「肥満」だという。<P> 本書は胃バイパスという肥満から逃れる手術のショッキングな場面から<BR>幕を開ける。そこから肥満の歴史的な背景や肥満についての科学的説明から<BR>肥満をコントロールしうる遺伝子を探る科学者たちの苦闘、<BR>はたまた「やせ薬」と副作用をめぐる話題までと<BR>「肥満」をめぐる歴史と現実のトピックスが<P>読みやすい筆致でかかれていく。<P> 個人的には第10章、第11章の食品業界のたくらみと<BR>現代病としての肥満の関係を鋭く指摘する箇所が心に響いた。<P> なぜなら、そこまでは「なるほどなるほど」と「肥満」を単に<BR>ひとごととして読んでいた内容が、そこにいたって<BR>突如これは「わたし」の問題にほかならないことに気付かせてくれるからだ。<P> 楽をしたい。疲れることはさけて、気軽にテレビの前で何か食べたい。<BR> こういう現代のわれわれの安易に流れる気持ちが「肥満」を生む<BR>根本の原因となっているという事実。<P>そういう意味で「太りゆく人類」は「太りゆく私」への警告になっているのだ。
人は生きるために食べてきたが、その本能が我々の体にセットされ、進化、淘汰された結果、今では我々は太るために食べ、生きているようなものとなっている。<P>この本は、肥満治療の歴史、そして、現代最新の肥満治療、医学理論をわかりやすく書き上げるとともに、今の資本主義社会がいかに肥満というものを作りしだしているか、ということを丹念な取材と、精確な批評眼によって、書き上げた一冊となっている。<P>メインになる肥満遺伝子の発見史については一流の科学ノンフィクションとなっており、神聖視されがちな科学、医学という分野における、富と名声を求める熾烈な経済競争、欺瞞、裏切りなどを表面化させており、読み応えのあるものとなっている。筆者は、ボストン大学でジャーナリズムを学び、ワシンントンポストなどにも寄稿したことのある、ジャーナリストとのことだが、やはり科学ジャーナリズムに関しては、かの国はまだ一歩先を行っていると感じる。<P>物語の構成的にも、よく考えられており、小説でも読むかのように始まり、その物語は皮肉な結末を迎えるのだが、そこに至るまで本書を読むと、太っていることが悪なのではなく、肥満を助長する社会こそが問題なのだと思うようになった。その意味で、この本は肥満を通じた一種の文明批評であるといえる。<P>この本を読んで、ダイエットに関する矛盾を痛切に感じた。
食料のない時代は太ることが夢だったそうだが、現在ではハラの肉は<BR>余計なものになってしまった。冒頭に書かれている通り、<BR>アメリカでは手術をしてまで肥満を治そうとしている。<BR>肥満になるのが生まれつきならその遺伝子があるはずだと、<BR>科学者たちは躍起になって探し出す。数々の失敗を経てフリードマンの<BR>ob遺伝子に辿り着いた。この遺伝子が産出するレプチンが問題なのだそうだ。<BR>ただし遺伝子だけではなく環境要因も大きい。<BR><BR>後半はやせ薬に頼ることへの危険や缶詰、ファーストフードなどの西洋食の<BR>浸透によって肥満が世界中に広がっていることへの警告が行われている。<BR>やっぱり我々はカロリーの高いものを減らして、運動するのが一番のようだ。<BR>肥満に関する色々なこと、特に!科学的なことがわかってとても斬新な本でした。<BR>内容は少し難しかったです。