昔、高校生でこの本を読んだ。青年期にありがちな「自分」への苦悶と、絶望の真っ只中を生きていた私は、すがる思いで本書を手にしたものだ。孤独の肯定者が本を書くということの矛盾は否定できないが、著者の主張は私を勇気づけた。社会に生きざるをえない人間の、それでも湧き上がる絶対的な孤独との「おりあい」の方法が、本書には記されており、生き方の参考として、私の机上の本となった。本書の出版は著者の主張と矛盾するものではないし、読んで意義あるものだと確信している。変わった人間の記録として、生き方の見本として、あるいは優越感を得るために。いろんな読み方ができるであろう。<BR> そしてなにより、なんだかよくわからないけど、これを読んだ私は生きる勇気をもった!不思議と。
この本に出会ったのは何年前の事だろうか。正確な月日はもう覚えていないけれども、僕はその時、大学生であった。そしてこの本は、大学時代に読んだ(日本の)本の中で、一番印象に残っている本である。<P>この本を読んだ頃、すなわち大学時代僕は、文字通り「孤独」であった。そして、人生の長い道のりにおいて、唯一孤独で生活ができる日々、それが大学生活であったと今改めて思う。その頃僕は書店に、いや書籍に救いを求めていた。孤独が辛いのではないけれど、なぜか日々が辛くてしょうがない。その頃の僕は本気で、書籍に救いを求めていたのだ。そして、見た。書店で見つけてしまったのだ。「孤独について」を。僕は迷わず、そうタイトルだけ見て、この本を買った。そして、その選択(立ち読みをせずに買った事)は正解であった。もし書店で、立ち読みしていたならば、僕は随分変な目で周りから見られた事だろう。僕は、この本を読み始めてすぐ、笑っていた。笑っていたと言っても、大笑いしたわけではない。何と書けばいいのか今の僕には言葉が思い浮かばないが、なぜか知らないが口ではなく、心で笑っていたのだ。だから、この本を立ち読みする事は、オススメできない。いや、他の人にとっては何の変哲もない平凡な言葉が、この本の冒頭に書かれているのかもしれない。しかし僕にとっては、少なくとも当時の僕にとっては、思わず心で笑ってしまう言葉が、そこに書き綴られていたのだ。<BR>この本を読んだ後僕は、中島義道の本を買いあさった。そして、中島の本を読み進めている間、僕は幸せだったように思う。そう、僕は中島義道の書籍に救われたのだ。中島義道、僕はこの名前を一生といえば嘘になるかもしれない、あと数年は忘れる事はないだろう。<P>そしてこの本と出会って、数年経った今(中島義道の本をかなりの数読んで)思うのは、結局書籍は、自分を救ってはくれないという事であろうか。
この本(あるいはこの著者)を理解できるかどうかで、2種類の人間類型に分類できるかもしれない。世間の幸福を追求する人と知的誠実さ飽くまでを追求する人。前者には後者の実感が全くわからない。そして嫌悪感さえ持つのである。当然、前者は中島義道という哲学者を理解できない。いや、理解することをはなから拒否するのである。<P>著者も言うとおり、好き・嫌いの感覚は端的に表れてくるものであるから仕方が無い。中島氏を評価する人も評価しない人もどちらも「正しい」のである。<BR>ひとつだけ確かなことをいえば、中島義道は自らの実感から乖離したことばを使っていない。その意味ですべてが「正しい」ことばで表現されている。あまりにも正しいそのことばには感動すら覚える。<P>それにしても、この!著者への書評の多くが1つ星と5つ星にきれいに分かれているのがとても興味深い。この人の本を読んで(良かれ悪しかれ)何も感じない人はいないということであろう。それくらい、やはり「正しい」ことばを使う人なのである。