剣術道場と塾で文武両道を目指す15歳の牧文四郎は、ある日突然、父が監察に捕らえられたという知らせを受ける。父は切腹、家禄も減らされ、牧家は断絶寸前の危機にさらされる。父が生前に関わっていた、藩の内政に関わるある重大な秘密とは・・・?そして、文四郎とその友人たちや道場の仲間、初恋の幼なじみ、おふくをも巻き込んでゆく、藩の内紛のゆくえは・・・?<P>美しい四季の描写に彩られ、事件は展開し、文四郎は剣の腕だけでなく、内面的にも成長してゆきます。叶えられなかった初恋の傷を胸に、父の遺した「わしを恥じてはならん」という言葉を信じて、ひたむきに、誠実に生きようとする彼の姿勢には、時代小説という設定を越えて読者に訴えるものがあります。<P>まだ少年の文四郎が、父の死と向き合い乗り越えようとする「蟻のごとく」の章は、残酷で、けれど強い意志を感じさせて、とても印象的です。荷車をひく文四郎のイメージは、「蝉しぐれ」の音とともに、この小説から静かな生命力を私に抱かせてくれました。
「父を愧じるな」の言葉を残し、主人公の父親は刑死。残された少年は謀反人の子として蔑まれ、藩内で過酷な忍苦の日々を過ごす。しかし、その鬱屈したエネルギーを剣の修行で昇華し、少ないながらも堅い友情で結ばれた友を得ていく。<BR>青年剣士へと成長した主人公は、父を死に追いやった苛烈な派閥争いに巻き込まれ、自らの運命に立ち向かう。<P>完成度の高いストーリー、端正な文章、常にベストを尽くした主人公が残す爽涼感、過ぎにし少年時代と淡い初恋への愛惜の念。藤沢周平の代表作というだけでなく、時代小説の最高傑作のひとつと言えると思う。
藤沢文学の中でも、「成長」をたんねんに描いた珍しい作品で、その意味では読後感が他のものとまったく異なります。それはひとことで言ってしまえば「清々しさ」になるのでしょうか。<BR> 少年が青年になる過程での正義感・恋心・含羞・人生に対する懐疑とその克服などがあますところなく描かれており、特に男性諸氏の共感を得るのではないでしょうか。<P> そしてストーリーは単に成長にとどまらず、最後は藩のお家騒動に巻き込まれた主人公が自らの剣をふるって初恋の人を助け出すあたり、エンターテインメントとしても一流でしょう。様々なプロットが後半に生かされてくる名作です。<P> 私個人としては、老齢の孤高と哀歓を描いた「三屋清左衛門残日録」と好一対を成す青春小説のようで、大好きな作品!です。男子の本懐を遂げる主人公の姿に、わがことのように喜ぶ私です。