著者と息子の関係は、岸田秀氏の著作『ものぐさ精神分析』の中の<BR>「私の原点」にある岸田氏とその母親の関係と根本的には同じもの<BR>である。<P>したがって、この作品は冒頭に以下の文章が必要に思う。<P>「私は洋二郎のことなど欠片も心配などしていなかった。<BR> ただ困っていたにすぎなかった。<BR> そこに感情は無かった。<P> そして、私自身そのことにさえ気付いていなかった。」<P>また、それを感じ取れるか否かでこの作品は読者にとって180度違っ<BR>た意味を持つものになる。
あえて、私は神経症の視点からこの本についてコメントさせていただきたいと思います。<BR>この本から考えさせられることは脳死という問題も大きいのですが、なかなか世間に理解されにくい問題が、精神に関する問題がかなりしっかりと書かれていると思います。<P>特に、何年も苦しんで、最後に死を選んだ彼については、同じように精神に関することで悩んでいる人にもとても関心の高いものではないでしょうか。
この本のレヴューを書くのは、正直言ってあまり気が進まなかった。あまりにも深刻な問題を、とっても弱い私が本能的に避けていたからだろう。<P>ご存知の通り氏はジャーナリスト出身である。真実を追究する正義の味方なのである。自分が正義になってしまっていたようである。しかし、この事件をキッカケニ変わられたにちがいない。死は一様でないことを頭で理解しただけではなく、腹の底から納得したが由に。<P>社会制度は常に善意から出発している。しかし、そこには自由がない。制度という型をはめたが故に善意が悪意に変わることがしばしばある。その視点を無視して制度は作られる。これはそんな物語のような気がしてならない。<P>脳死の問題は、「脳死をもって死とする」なんて画一的に決めるべき問題ではないだろう。「個人の尊厳をもって死とする」とした方がすっきりすると思うのだが。。。