底流に流れるのは、自然と人間とのふれあいではなく、「予定された未来」に対する宮崎駿のいらだちだと感じました(そういえば彼は元コミュニストだった)。予定調和を否定せよ、そして「生きろ」という呼びかけは「もののけ姫」にも出てくるテーマです。ナウシカで彼が書こうとしたことは、恐らく宮崎駿の一生のテーマなのかも知れません。こういうストーリーはえてして虚無になりがちですが、人間に対する信頼が息づいていて、安心して読めます。見事な叙事詩。
このシリーズを読み直す度に自分のこころの奥底にあるなにかが反応する。自分でも言語化しえないこころの底と、今ここで薄汚く貪欲に自分が生きているという現実がこれだけ交叉しあう物語をしらない。まさしく汚濁をも、悪をもとりこみながら生きつづけるナウシカに自分のからだもこころも共鳴する。<P>この長いナウシカの物語の進化=深化は、作者のこころの変化をそのままに映しているのではないだろうか。最初に世に出たナウシカは、映画で描かれた内にパワーを秘めながらも、族長の娘としての役目を十分に果たそうと必死にもがき苦しむする女の子だった。それが、この物語の中で、腐海の底、酸の海での争い、人々の生きているがゆえの悪、そして憎悪、あるいは、自分自身の死をも通り越し、善悪の彼岸を超えた境地へ到達する。特に滅びと死を経験するナウシカに、作者のこの世界への絶望を読み取るのは深読みなのだろうか?<P>また、この物語の中に指導者の様々な形を読み取ることもできる。自分の統べる民を迫害する王、滅ぼす王、自分を犠牲にしてまでも同朋を生かそうとする長、国も民も捨て隠棲する王族、民が滅びても王としてのプライドを捨てない王子、そしてすべてを抱きしめ、すべてを包括し、そしてすべてを超越するナウシカ。王と民の在り方は、神話、民話からはじまる長い物語の伝統の基本をなしている。これも、この汚濁の世で誠実に生きようとする作者の姿を見出すのは見当違いなのだろうか?<P>21世紀の今、作者自身にぜひこの全てを映像化し、昇華しきってほしい!
映画或いはTVで度々放映される「ナウシカ」はこの漫画では一場面に過ぎないです。7巻まである事から分かるように、映画でナウシカが王蟲達に癒された場面がありましたが、それ以降も長々とこの漫画では物語が続いていきます。またスケールも映画以上です。冒頭に登場世界の地図が添付されている事からも分かるように色々な地域・場所・人物が登場する重厚なストーリーとなっています。しかし、この漫画の凄い所はそれだけでは無いです。漫画に在りがちな簡素な絵というのが存在しないことです。一こま一こまが実に緻密に描写されており、週間雑誌等で納期に追われてガッと描く物とは一線を画している印象です。また宮崎漫画の素晴らしい所は単に緻密という事だけではとどまらず、描写自体が生き生きしていて温かみがあるという事です。<P>絵の輪郭にしても筆跡が感じられるような、ある意味漫画というよりデッサンを見ているかのようで、一こま一こま釘付けにされるでしょう。それに呼応するかのようにナウシカをはじめとする人間の表情も生き生きとしていますし、宮崎作品お得意の動物描写も優しくて好感がもてます。<P>ストーリーと描写力両者を兼ね備えた漫画というのは、そんなには無いと思います。読んでもけっして損はしないでしょう。