考えてみてください。<P>よく言われるように、この世の中には男と女しかいません。<BR>しかし、さらに掘り下げてみると、<P>どんなに仲のよい家族でも、<BR>どんなに長年連れ添った伴侶でも、<BR>どんなに愛を確かめ合った恋人でも、<BR>自分自身、つまり、あなた自身ではないのです。<P>この世の中には、自分とそれ以外の人しかいないのです。<P>私たちは、つねに自分とそれ以外の人たちと向き合いながら暮らしています。<BR>自分ひとりで生きていくなどということは、<BR>あえて断言しますが、<BR>絶対にできないことです。<P>そして、誰かとともに生きていこうとするとき、<BR>そこには自分の思うように行かないことや、<BR>ときには自分のすべてをささげて進まなければならないときがあります。<P>自分を犠牲にして他人のために動くこと、<BR>それはつらく痛みをともなうことです。<P>しかし、それがつらいことだからこそ、その姿は「にんげん」としてのうつくしさを放つのだと思うのです。<P>自分が誰かのためにじっとがまんするとき、世にもうつくしい花が咲く。<BR>自分が誰かのためにその命を賭けるとき、雄々しく豊かな山が生まれる。<P>それは決してみかえりでなく、尊い犠牲のための碑なのでしょう。<P>彼岸花をみるたびに、この物語を思い出します。<BR>初めて読んだのは小学校低学年のころでした。<BR>それでもなお、この物語は私の中に息づいています。<P>これからもずっとずっと、日本人のなかに残っていってほしい、<BR>そんな絵本です。
『やさしいことをすれば花がさく。いのちをかけてすれば山がうまれる。』見返りなどいらない、ただ人の為に。<BR>涙を堪えて耐えることが、命を懸けることが良いこととは限らない。また、今現代の社会で、それを実行しようとするのはとても難しい。でもこの本は、刹那でも、それが素晴らしいことだと思わせてくれる。<P>幼い頃出逢ったこの本は、今も大切に此処にある。疲れきったとき、また、自分は此処に還る。
あやという女の子が山に迷い込みやまんばに会った。やまんばはあやの住んでいる村の事は何でも知っていた。あやがなぜ山に来たのか、あやが親と妹のために、自分がつらいのを我慢していること。そのやまであやが見たのは、一面にさく花、自分がつらいのを我慢して人のために何かすると花が咲くのである。<P> 私は、この本に小学5年生の時に出会い、それ以来、心の中にはなさき山がありつづける。自分はどんな花をさかしているのか、自分を見つめなおす良い機会となるであろう。絵本の影響に圧倒され、私が、アメリカで児童文学を勉強しようと思った原点になる本である。