初めてドーキンスの「利己的遺伝子」を読んだとき、人間が遺伝子の<BR>乗り物だという見方がショッキングであった。それに慣れたころ<BR>「パラサイト・イヴ」なる小説(映画)を読んで、ミトコンドリアという<BR>反乱分子がフィクションとして、とても興味深いと思ったものだった。<BR>だけど、これはフィクションじゃなかったんだ。これは生命の神秘なんて<P>きれいなもんじゃない。生命は僕が思う以上に狡猾で戦闘的だった。<BR>23個の独立したゲノムの物語を読むにつれ、自分というものの<BR>意味が変わっていくかも知れない。あまりに身も蓋もないゲノム達の<BR>振る舞いに男たちはトホホと嘆くしかない。
著者の意図するところは良いと思う。<BR>ただ彼は文章家としての才能はない。比喩を用いて説明しようとしているときも、その意図するところとは逆に<BR>その比喩が理解することの妨げになっているように感じたところが多い。私は解読された事実事項を無愛想に<BR>書く(教科書のように)だけの方が良書になっていたのではないかと思う。<P>というか、一言で言えば「無駄話が多い」というのが大問題。<BR>比喩もそうだし、ユーモアのつもりで書いているであろう文も決して楽しいものではない。<P>よってそれらの無駄な文を除けば半分ぐらいの厚さにしかならないだろう。しかし、<BR>厚さが半分でも、そうして駄文を除いた方が価値ある一冊に仕上がったと思う。<P>とりあえず読者に優しい本ではないが、<P>それでもゲ!!について解読された事実事項だけは必読すべきだろう。
タイトルの通り、23章でそれぞれ一つの染色体について扱っている。「人間には遺伝と環境、どちらが大きく作用するか」つまり「氏か育ちか」とは昔から議論されていることだが、遺伝子の働きがわかってきた今その議論は尚更かまびすしい。著者はどちらの影響も分かちがたく結びついているし、どちらかに帰するのは無理だとごく健全な立場をとっている。<P>人間の受精卵から核を取り除いてチンパンジーの細胞の核を入れて元通り子宮に戻したらどうなるだろうか。遺伝情報はチンパンジーのものだから紛れもなくチンパンジーになるか、それとも細胞質などの周囲の環境に影響されて人間に近くなるか。もちろん倫理的に考えて許されるはずもない実験だが、遺伝子か環境かを考えるとどういう結果になるかは興味深ち㡊これに対して著者は実験を無論するまでもなく、遺伝情報に従ってチンパンジーになるに決まっていると述べている。これは断言できない事柄ではないかとこの部分だけは納得がいかなかった。<P>ハンチントン舞踏病のように遺伝子診断によって何歳頃発症するかまで分かってしまう遺伝病がある一方で、喘息に代表されるアトピーは何が原因か今もってはっきりしない。遺伝子が全てを決めるのでないことはもちろんだし病気を起こすためだけに存在しているわけでもない。その多様な働きぶりには魅了される。