先日、選挙権を得たばっかりなので政治や政党について色々調べ勉強したが、公明党は一番良くやってるというのが私の見解である。また、それから色々創価学会についても調べてみた。<P>自分で調べ、なっとくしてからこの本を読んだために信憑性が全く無い。私の方が第三者的な意見を書け、著者達より調べているのでより良い内容になるのではないか?と思うぐらいである。著者達は頭から創価学会を批判し、ただ単に、創価学会が嫌いなだけであるという感じを覚えた。<P>初めから嫌い、批判、だけしている著書は信憑性が無いだけでなく虚偽や誇張が大半なのでは?と思ってしまう。<BR>面白そうだから買ってしまったが、内容が無く、時間とお金の無駄だったように思う。<BR>立ち読みくらいならしてみても良いかもしれない本である。<P>また、この本を読んでから自分で本当か調べてみるのも良いと思う。一方的に読むのではなく自分で調べる事で違った一面も見えるかもしれない
これまで創価学会、公明党は単なる宗教団体とその派生である政治団体としてしか見ていなかった。本書は、二人の楽しい会話で始まり、終わっていくが、このようなカルト集団が堂々と政治の中枢に住み続けていることに対して寒気を覚えた。オウムや朝鮮総連同様にその実態を分かりやすく解説してくれる本書は、お奨めである。
視聴率稼ぎが上手なテリー伊藤の語りはともかく、それなりに評論家と言われる佐高信がこのレベルとは、ある意味で恐れ入った。<P>一番の噴飯モノが、池田名誉会長の職位を取り上げているところ。何を言い出すかと思えば「名誉会長って肩書きは偉そう」だけで終わり。「語るに落ちる」とはこのことだ。<P>当時、会長職にあった池田氏が名誉会長となった経緯は、儀礼活動中心の僧侶らが在家中心の積極的な(海外)布教の展開に対して自らの権威喪失を恐れたことに起因する。彼らは、会員の中で絶対的な信頼を持つ池田氏を閑職に追放するか創価学会の宗教法人を解散させ、在来会員も統括した形で僧侶側の管長中心の冠婚葬祭体制(一言でいえば供養集めシステム)を強化せんとしたと言われる。結局、宗教法人解散を免れるため、池田氏は一人で責任を負う形で名誉会長という閑職に退いたのであった(仏教界の新聞である『中外日報』参照:これくらい基本知識として読んでおいてほしい>佐高氏)。<P>上の経緯の解釈の是非は別としても、経緯自体を(テリー伊藤はともかく)佐高信が知らないわけはなかろう。そうでなかったとしたら、本の書き手として、また「評論家」として肩書きがある以上、きちんと調べるべきではないのか?それを「名誉会長の名誉は偉そう」で片付けて「わが著作でござい」と堂々と出版しているのだから、開いた口が塞がらない。(もっとも佐高氏は経済評論家らしいから、門外漢の宗教については何を言っても良いというご認識なのかもしれないが)<P>現在、池田氏がなぜ「名誉会長」という肩書きなのかという創価学会分析では避けて通れない事柄を、このように「偉そう」とボヤいて終わっている。まさに一事が万事で、この本が居酒屋でおやじたちが「創価学会ってのはな~」と話ししているのと同じレベルだということがわかる。<P>でも、それではちょっとかわいそうな気もするので、「認識なくして評価する」本とでも評価しておきます。故に、彼らの意気込みには申し訳ないが、星は1つ。