『白い影』はとても奥の深いドラマで、ふとした日常の中でふっと頭の中を場面が過ぎり、胸が締め付けられるような思いに駆られた事が幾度となくあって、自分なりにその答えを探したりした事もありました。<BR>この本を読んだのは、その答えを自分の中である程度出していた時期だったですが、それが恐らくは良かったのだと思います。<P>読みながら自分の考えと共感出来る内容については素直に共感し、異なる内容については色々と自分なりに考え、ドラマを観ている時には気が付かなかった内容については新鮮な驚きを覚えるのと同時に、「それを確認する為にも、自分の中で納得出来る答えが見つける為にも観直したい!」という気持ちが自然と湧いて来ました。そして何より、『白い影』に対しての自分の想いが更!に大きく、強く、深くなっていたのには、驚きと共に感動を覚えました。<P>この本は、ドラマ『白い影』を観た後に読むと、『白い影』の世界観が拡がるので、観たあとに復習する意味も込めて読んで貰いたいと思います。
まず、本のかたちは縦長。表紙は、ドラマで生命の象徴だったタンポポの綿毛の写真をフィーチャー。それからなかを開くと、最初のほうには、支笏(しこつ)湖、川べりのレストラン、土手、病院など、『白い影』のロケ地に使われた場所の写真が綴じ込まれています。<P>章立ては、1.著者・篠原沙里氏による序章(大新聞にまで及んだ『白い影』現象の整理)、2.著者と原作者・渡辺淳一氏との対談、3.これまでの中居正広氏のタレント活動での印象的な場面と直江庸介のドラマでの印象的な場面を通じて、両者の出会いが運命だったことについての著者による論証、4.ドラマ『白い影』制作過程レポート、5.『白い影』で使われた主題歌、ポピュラーミュージック、クラシック、サウンドトラックの特徴、使われ方についての分析、6.『白い影スペシャル』についての記述、そして積極的・創造的な視聴者によってファンサイトに寄せられた『白い影』についてのサイド・ストーリーの転載、7.原作『無影燈』とドラマ『白い影』の人物のちがいについての比較、8.『無影燈』から平成版『白い影』に至るまでの出来事(連載開始とかクランクインとかDVD発売とか)年表、9.『白い影』現象についての、英文学者・下河辺美知子氏の分析・批評、『PSIKO』(本書に転載された『白い影』批評を初めて掲載した雑誌)編集長・志村昌彦氏の検証、10.著者による結論(「〈直江庸介〉とは誰なのか」についての回答)、11.あとがき。おもな章の最後には、英語の文学作品から死・不安・愛・生命についての文章、ロケ地写真とドラマの名ゼリフを引用しています。<P>ドラマなどを細かく分析すること自体がむだだ、とは思いません。ですが、人間の究極の愛し方、死に方についてのことばを越えた感動作である『白い影』にかぎっては、わざわざことばを費やした分析・批評は、むだな努力に思えてしかたがありませんでした。<P>とはいえ、納得できました。まず、著者が中居君のことが大好きであったからこそ、これほどにまで過大評価気味に『白い影』に入り込んだことが伝わって来るから。次に、冒頭の対談で渡辺淳一氏が残している「「死」に匹敵できるものは、金でも地位でも名誉でもなくて、「愛」なんだ」(30頁)という核心を衝いたことばが著者のおしゃべりに対するぼくの違和感を代弁してくれているから。『白い影』ファンが読んでも大丈夫でしょう。
私もかなりのNN病患者だと自負していましたが、<BR>著者はもっと重傷のようですね。<BR>ここまで詳しく「白い影」を読み解くとは。<BR>心理学の専門的な言葉が少し、難しい所もありましたが、<BR>最後までドキドキしながら読んでしまいました。<BR>中居正広、竹内結子サンのインタビューなどもあったら、<BR>もっと良かったのになと、思うのは欲張りでしょうか?<P>続編をこころから期待します。