89歳で亡くなった沢木氏の実父への鎮魂の作。<P>抑えた筆致でしかし渾身の息子の想いがこめられていて感動をよんだ。<P>88歳の米寿を祝う席で父が「少し長く生きすぎてしまったかもしれないな」と言う言葉に作者は無名で何事も為さず一合の酒と一冊の本を読むだけだった父の「無名の人の無名の人生」が決して長すぎなどしなかったことを、どうにかして父に知らせる方法はないかと考え始める。<P>そんな父が発病し、やがて死が遠くない事を漠と悟った作者は父に生きるはりをもたせるために、句集を出すことを考える。<P>結局は句集は間に合わず父は亡くなってしまうが、父亡き後に句集の編纂にあたる作者は、父親の句を一つ一つ選び拾っていくうちにそれは「父の骨を拾いなおしている」ような気がしてくる。<P>この作品はそう言う意味においても父の想い出を一つ一つ拾い集め、悼み、父の骨を拾う作品であると思った。<P>作中の介護の様子がまるで私の父親の時を思い出せて身につまされた。<P>作者が当初思い立った<BR>「無名の人の無名の人生」が決して長すぎなどしなかったことを、どうにかして父に知らせる方法はないかと考えた」<P>ことがこうして奇しくも鎮魂の書として世にでたことは深い意味を持つ。<P>私が、病床の父の背中を熱いタオルで清拭していた時、父が「お父さんはね、死ぬのを待っているんだよ」とぼそっと言った言葉が忘れられない。私もぼんやり父の死を覚悟していた時だったので返す言葉がどうしても見つける事が出来なかった。「うっ」と声にならない言葉を出してうろたえるばかりだった。<P>父に「生きて」と励ますことをしなかった私。<P>沢木耕太郎さんのように私も書く才があれば父の骨を一つ一つ拾うように書くだろう。<BR>こんな息子を持ってこのご尊父は幸せだ。<P>抑えた文がこのご尊父の生き様を実に清々しく表わしていて白眉。<BR>抑えたがゆえに息子の父を想う心が深く刻まれていて温かい。
「父には、何を訊いてもわからないということがなかった。この人といつか対等にしゃべることのできる日がやってくるのだろうか。そう思うと絶望的になることがあった。」沢木氏がどこかで畏れを感じ続けていたほどの人物でありながら、世俗的な成功や、自己顕示欲とは全く無縁だった父の「無名の」生涯。こんなにも静かで強い生き方があることに打たれました。沢木氏の他の本も読みたくなりました。
本書を読んで沢木耕太郎さんのファンになりました、久しぶりに感動する名著に出会いました、親の死に際を看取ることの大切さ、親子の情愛、死生観など様々な事を改めて考えた感動巨編です