映画もすばらしかったが、この原作を読んでさらに震撼した。<BR>「アンネの日記」や「シンドラーのリスト」で“知ってるつもり”に<BR>なっている人(私もそうでしたが)に特にお薦めしたい。<BR>ユダヤ=善、ドイツ=悪なんて、単純な図式ではないのだ。<P>ピアニストの命を救ったドイツ軍の将校は、ほかにも4人のユダヤ人を<P>救ったという。本書に収録されている彼の日記には、ナチスの行為を<BR>憂い、それになす術もない自分も同罪とする苦悩がつづられている。<BR>善良なドイツ人もまた犠牲者だった。<BR>映画にはない、この日記を読むだけでも手にとる価値はある。
ポランスキー自身の体験を織り込んだ映画化で話題となった本作。<P>描写は淡々としているが、正視できない余りにも残酷な出来事の連続にしばしば頁を閉じざるを得ない瞬間があった。見てはいけないものを見たように打ちのめされた気分になって、本を閉じて黙祷したことも一度ならずある。シュピルマンは、ただ自己の内なる音楽に支えられるようにしてホロコーストの極限を生きのびたのだ。<P>しかし、不思議なことに人類の罪の証人であれながら、語り口に恨みや声高な怒りは微塵もない。最後まで読んでいって、その訳が分かる。本書は、罪を目撃者としてのシュピルマンが書いたのではなく、希望の証人としてのシュピルマンが書いたのだ。<P>驚くべきは、このユダヤ人ピアニストに希望を与えたドイツ人ヴィル!・ホーゼンフェルト大尉の深い信仰だ。ホーゼンフェルトは、占領したポーランドでポーランド語を学び教会に通い、多くの友を救い、ナチズム批判を日記に書き残した。(その日記の一部が読めるのも本書の特典である。)あとがきで、この正気の人物が戦犯として失意のうちに亡くなったこと、本書が出版された当時、彼がドイツ人であったことは伏せられなければならなかったことを知らされ、胸に痛みが走った。<P>本書で最も好きなシーンは、シュピルマンとホーゼンフェルトの別れの場面だ。シュピルマンは、最高の贈り物を与える。使われなかった贈り物。映画は、かなり原作に忠実だといえるが、その場面が脚色されて本来の意味を失っていたのが残念だ。<P>本書には、シュピルマンがコルチャック先生と子どもたち!を目撃していたことが語られ、残虐非道の限りがつくされたこの地上に星のように輝いているいくつもの魂があることを教えてくれるから、私たちも希望をつなぐことができる。
映画化されて有名になったので、紹介の要もないと思うが、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンが、ナチス迫害下での自らの苦難のサバイバルをつづった回想録。<P>シュピルマンは自らの苦難を、驚くほど淡々とした、他人事のような冷静な筆致で描いている。内容的にはつらく悲しかったが、文章的には堅苦しさもぎこちなさもなく、非常に読みやすかった。シュピルマンという人、作家ではないかもしれないが、文才に恵まれた人だと思う。<P>シュピルマンはごく普通の、無力な人間である。彼の文章は、このような普通の無力な人々がいかにして、なすすべもなく大きな渦に巻き込まれ、真綿で首を絞められるようにじわじわと追いつめられ、死に追いやられていったかを、まざまざと描き出している。ナチスのユダヤ人迫害といえば、強制収容所での大量虐殺がすぐ頭に浮かぶが、その前段階であるゲットーでの軟禁生活も、生殺し同然の非常に残酷なものだった事を、本書で初めて知った。<P>シュピルマンが幸運と、多くの人々の助けに恵まれなければ、生き延びられなかったのは確かである。だが、彼の超然とした冷静さ、忍耐強さ、そして生き抜こうとする強靱な意志により、最後まで自分を失わなかった事も、彼がサバイバルに成功した重要な要因の1つとして、見逃してはならないと思う。<P>ドイツ人将校に救われる”事実は小説よりも奇なり”のクライマックスは、有名すぎて読む前から知っていた。それでも、シュピルマンとホーゼンフェルト大尉との触れ合いは、短いがしみじみとした味わいがあり、胸を打つ。またエピローグでは、シュピルマンが戦後ホーゼンフェルトを救おうとして果たせなかった事実が、さらりと描かれている。ナチスから解放されたと思ったら、今度はソ連に押さえつけられた東欧の悲劇が垣間見られ、もの悲しい余韻が胸を打つ。