久々に読み応えのある本にであった。<BR>私は養老氏の本ははじめてだが、たいへんに好感を覚えた。<P>人間科学とは、人間というものを自然科学、社会科学、人文科学など多方面から分野を超えて研究する比較的最近の学問だ。とことがその内容は、単にそれらの講義をミックスさせただけのものから、ある分野の専門性を徹底的に人間というものに照準を合わせたものまで様様である。<P>養老氏は、解剖学の超有名な先生で、おびただしい数の人体を見てきたであろう。そう人が専門性を生かして意見を述べるというのは大変興味深い。<P>内容も、一般人にもわかるように、同じ事を言い方を変えて何度も何度も説明している。専門家にとっては歯がゆいだろうが、とかく一般人にはわからないようないい方に終始して専門家!!る人が多い中、ほんとうに頭が下がる。<P>内容は、人間科学の定義に始まり、物事の根本を意かに考えるか著者の考え方を明確にし(物質と情報に分けて考える)、遺伝子と細胞の関係、言葉と脳の関係などを例に、最新の研究の論議などを紹介しながら、話は、政治経済、社会科学の分野まで広がってしまう。<P>最後に、進化と男女論について考えて終わるが、学者にしては非常に大胆な文章で、読んでいてスカッとした。とかく自分の専門分野に閉じこもって、専門外のことは知らぬ存ぜぬという人が多い中、解剖学の専門家が社会のあり方まで論じているのは、「学者とは本当はこうあるべきなんだな」と感心させられた。<P>また、科学的に証明されていないといわれる、ダーウィンの自然選択説、メンデルの遺伝論について!!!、どう捉えるべきかが明記されていて読み応えがある。<P>確かに、高校程度の生物学がわかっていないと読むのがきついが、偉い学者がここまで大衆にも読める専門書をかいたのは賞賛に値する。
医学の父、ヒポクラテスがコス島で医学を教えたのが紀元前5世紀。彼曰く「脳を通じて人間はものを考える。脳は意識の通訳器官である。」2000年以上の時を経て、進化させたのが養老氏の「唯脳論」である。今回はそれを発展させ、遺伝子を付け加え、さらに、情報という縦糸で紡いだのである。詳しくは、P.37ページの図をご覧いただくとして、(脳ー言葉)、及び(遺伝子ー細胞)のセットが横糸で、情報記号およびシステムが縦糸である。ミソは情報という概念を導入することによって、人間を科学した論評である。それによって、見事な絹織物を誕生させたといえるに違いない。切れ味は相変わらず、解剖学者ならではの鋭いものであるので、安心してご一読を。ただし、初めて氏のものを手にとる方は、まず、「!!!脳論」を読まないと、かなり難解であることを覚悟していただきたい。<BR>表現が簡潔でわかりやすいからといって、内容が平易であるとは、限らないのであるから。
『唯脳論』から始まった養老流の思考は、極く自然の成り行きとして<BR>”私が私であること”という主題の問に行き着いているようである。<BR>どうして自分が自分であることを人は理解できているのかという答は<BR>とうとう見つけ出せないままになっているが、一つだけはっとしたのは、<BR>”情報”というシロモノの正体であった。<P>”情報は変わらない、時々刻々変化するのは脳(身体)の方である”<P>は眼を覚まさせる十分なインパクトを持っていた。<BR>脳における情報処理の秘密は誰もが知りたいと思うことなので、<BR>本書の内容をもう少し分かりやすくすれば更に多くの読者を掴むに<BR>違いない。<BR>後続の論を待ちたいと思う。