「社員全員が家族」であり「すべての困難は強い精神力で乗り切れる」という題目を全員で唱える社員。日の丸を振って製品を工場からおくだす社員の家族。仕事を終えた従業員は、号令にあわせて、全員でお互いの肩たたきを始める。おそらく高度経済成長期のころの日本を写したのであろうこのビデオがアメリカのビジネススクールの授業で流れたとき、映像にこめられた悪意とそれを流す無邪気さに戦慄を覚えた。私にはアメリカ人が、日本企業の強さの秘密を「軍国主義の経済への応用」と理解することで、「経済侵略」の恐怖を克服しようとしているように思えた。<P> 本書は、日本企業がなぜ継続的にイノベーションを生み出し、競争に打ち勝ってきた秘密を「組織的知識創造」をキーワードに解き明かす。知識!はマニュアルのように記述可能な「形式知」と、個人の体験に根ざした「暗黙知」とがあり、優れた企業は、個人の暗黙知をグループの暗黙知へと「共同化」し、暗黙知から形式知へと「表出化」させてきた。プロセスはさらに「連結化」「内面化」と続くのだが、重要な点は、これを日本の知的伝統に基づいて論じている点である。日本企業が個人の暗黙知を共有し育んでこられたのは、日本人の感受性が「微妙で捉えにくいが目に見える具体的なものに向けられ」、知識が「全人格の一部として獲得された知恵を意味」していたからなのだという。その点、「西洋では、知識は一人の人間の発達から切り離されて」おり、暗黙知が無視されてきた。これが西洋的思考の限界なのだと断じる。<P> 本書は親切にも、プラトンからの!哲学的伝統をたどりデカルト的二元論の限界を示す。西洋の土俵に上がり四つ相撲を挑んだこの知的格闘は、日本企業の成功がもたらした経済摩擦を、安易な「文明の衝突」のような説明で終わらせない気概にあふれている。もしも衝突があるのなら、それは野蛮であり、文明ではないのである。
なぜ日本企業が多くのイノベーション(知識創造)を成し<BR>欧米企業はできなかったかを哲学による歴史的文化背景を<BR>比較することによって、説明している凄い本である。<P>本書の初めの部分では、この哲学の概念を説明し、<BR>中間部分では、多くの日本企業の知識創造の過程を<BR>説明しながら方法論として体系化している。<P>そして後半部分では、その知識創造に相応しい組織論に<BR>至り、さらに結論として、グローバル企業の成功例などを挙げ<BR>日本式(暗黙知)だけでなく欧米式(形式知)とのコラボレーションがベストな知識創造の場であると解いている。<P>単なる経営書の範囲を超えて、哲学の歴史的流れが<BR>文化を通じて企業に影響を及ぼしイノベーションの<P>国際競争力に差が出たことを書いてある。
確かに素晴らしい内容。<BR>今後、ますます知識が重要視されていくであろう中で<BR>企業、ビジネスマンは是非知っておきたい内容だ。<P>ただ、個人的には冒頭の哲学的概念論から入られたのには閉口した。<BR>冒頭部分を読み進むだけで、とんでもない時間がかかってしまった。<BR>概念論が苦手だと、冒頭部分で後込みするかも。<P>(その場合、第1章を読み飛ばすのもありかと)