「頭でっかち」は理論が現実によって修正されることを無視する危険な性向であるとすると、「心でっかち」は現実が理論によって説明されることを無視する危険な性向であると言える。しかも、後者は現実と理論を見比べない限りわかりにくいという特徴を有する。本書は先入観を避けるために、敢えて聞き慣れない言葉を用いて説明している。本書は流し読みできるほど、ロジックが明快である。久々におもしろい心理学の本であった。
文章は読みにくい。実験の説明をするにしても、何がどういう設定で、どういう人がどうなったのか、なんだかさっぱり分からない。<P>最初のレビューで、ここまでけなされるのがよく分かる。もっとも作者は学者であり、専門用語を使っているところがそう思わせている部分もあるが、対象となる読者は専門用語も何も知らない人であることをもう少し考えて図にするなり、平易な表現をするなりするべきだ。後書きは何が言いたいのか分からず、とても読めたものではない。<P>要は、日本人の行為基準は集団主義《文化》ではなく、その組織の中に作られる制度(新制度学派的な意味での)の中に生きていくのであって、その中で最大限効用を得ようとしている合理的行為であるってことが言いたかったのかもしれない。それすら推測の域を出ない読みにくい本である。
本書の主張は、「心でっかち」に陥らないためには、人間の行動を「心」のせいばかりにせず、社会の中の力関係とか、損得とかいったリアリティで理解することが大切、ということでしょうか。<P>それにしても本書の文章は、いろいろな意味で、読者をいらいらさせるのではないでしょうか。<P>まず、論理が強引。「集団主義」について手前勝手な定義を与え、実験を行なう。相当性格の異なる事象を、イコールでつないでしまう。それが科学的とは思えないです。むしろ、知的な誠実さの問題かもしれないですね。概念操作が甘いのかもしれません。<P>さらに、直訳調の言葉が並びます。<P>「関係特殊的投資」・・社内でしか役に立たない人間関係に憂き身をやつすこと?<BR>「頻度依存行動」・・周囲の状況に依存する付和雷同的行動?<BR>日本語で表現して欲しいものです。<P>相手に分かりやすく語りかけることができないのは、リアリティーを失いやすく、もっとも「心でっかち」になりやすいのではないだろうか?と心配です。